岩鼻陣屋![]() 岩鼻陣屋(いわはなじんや)は、江戸時代に上野国群馬郡岩鼻村(現・群馬県高崎市岩鼻町)にあった天領代官所(代官陣屋)。 概要もともと前橋藩の領地の一部であったが寛延2年(1749年)9代藩主酒井忠恭が姫路藩に転封になったさい、当地は天領に組み入れられた。 寛政の改革において、天明の浅間焼け、天明の大飢饉によって荒廃した農村の復興が目指された。その一環として、幕府支配地域に陣屋を設置し代官を送り込み、農村の状況を把握させ臨機応変に対策を講じさせることとした。これによって吹上陣屋(栃木県栃木市)、藤岡陣屋(栃木県栃木市)、真岡陣屋(栃木県真岡市)、上郷出張陣屋(茨城県つくば市)、そして岩鼻陣屋が設置された[1][2]。 寛政5年(1793年)1月23日、上野国の幕府直轄領を支配する幕府代官佐藤友五郎は、後任代官として吉川栄左衛門と近藤和四郎が就任する旨の触書を関係各村に廻した。2月6日に吉川の手付が建設予定地の調査のため管内の村々を巡回し、倉賀野城跡などの候補地の中から岩鼻村を陣屋建設地として推薦した[3][2]。2月16日に佐藤から吉川・近藤に代官が交替した、22日に2人の代官は、村々の代表者を集めて岩鼻村に陣屋を建設することを明らかにした。建設工事は同年6月に完了し、7月1日から事務が開始された[4]。両代官支配地域は上野国群馬・甘楽・勢多・利根・山田・新田・佐位・緑野郡に点在する村落で、合計5万8700石であった[5][2]。
戊辰戦争中の慶応4年(1868年)3月、東山道総督府が高崎城に入り、岩鼻陣屋役人が江戸へと引き上げたことにより陣屋は無人となった。書類などは村役人経由で新政府軍への引渡しが行われた[8]。 慶応4年(1868年)6月17日、岩鼻県が設置されたことにより、岩鼻陣屋跡に県庁が置かれた。初代知県事は彦根藩士大音龍太郎が任命された[9][10]。 脚注
参考文献
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia