島津久典

 
島津久典
時代 江戸時代後期
生誕 天明元年5月16日1781年6月7日
死没 弘化2年8月14日1845年9月15日
改名 熊太郎(幼名)→久典
別名 久軌、太郎次郎(通称)
戒名 俊量院殿蘭操徳英大居士[1]
墓所 鹿児島県南九州市知覧町郡の島津墓地
主君 島津斉宣斉興
薩摩藩知覧私領主
氏族 知覧島津家
父母 父:島津久邦
久福
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島津 久典(しまづ ひさのり)は、江戸時代後期の薩摩藩士。知覧島津家20代当主。

生涯

寛政3年(1791年)、父・島津久邦の死去により家督を相続し、知覧領主となる。

文化10年(1813年)、讒訴されて種子島に流罪となり、後に許され知覧に隠居する。垂水に隠居所を設けたため、垂水御隠居様と呼ばれた。家中の士風の衰えを憤慨し、弓術は遊戯であると退けて、撃剣柔道を奨励した。弘化2年(1845年)8月14日没、享年65。

脚注

  1. ^ 『知覧町郷土誌』知覧町、1982年、p.275。

参考文献

  • 『知覧郷土史』
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