崇道天皇社
崇道天皇社(すどうてんのうしゃ)は、奈良県奈良市西紀寺町にある神社。旧社格は村社、神饌幣帛料供進社[1]。 紀寺天王とも呼ばれ、かつては璉珹寺(紀寺)の鎮守として祀られた[2]。同寺東北に鎮座。薬師堂町の御霊神社とともに南都二大御霊社とされる[3]。 歴史五條市の藤井家に蔵される長禄2年(1458年)の「霊安寺御霊大明神略縁起私記」によると、『又奈良ノ南里ノ紀寺ノ天王ト申スモ、崇道天皇ニテマシマスナリ』とあり、怨霊を鎮めるために祀った御霊神社の一つである[5]。南都八所御霊の一座として御霊会が行われる[2]。 「大乗院寺社雑事記」の応仁2年(1468年)10月15日の条には、春日大社の末社であり本地は弥勒菩薩であると記されている[2][5]。 境内国重要文化財である本殿は、桃山時代創建と推定される春日若宮本殿を、元和9年(1623年)に移建したものである[4][2][5]。現在は南面するが、1875年(明治8年)までは鳥居、表門をくぐると真正面の向き、すなわち西向きであった[4]。 境内社は祓戸社・天満宮・稲荷社の3社で、神社明細帳(明治24年)によると、春日社も他の二社とともに独立してまつられていたが、現在は祓戸社と相殿になっている[4]。 神楽殿は安政2年(1855年)の再興で、斎館は1940年(昭和15年)の竣工[4]。神輿庫には享保2年(1717年)ごろ修理された古い神輿があり、秋祭礼に用いられる[4]。 この他、1520平方メートルほどの広い境内には、春日見の腰掛石やあちこちに巨木が残っている[4]。 祭神祭神の早良親王は、天応元年(781年)皇太子となったが、藤原種継暗殺に連座した疑いを受け延暦4年(785年)に廃嫡された[2]。淡路国に配流の途上、49歳で薨去[2]。淡路国にて葬られたが、怨霊を鎮めるために崇道天皇の諡号を追贈し、御骨は大和国八島陵に改葬し、また本社の祭神として祀ったとされる[2]。 境内社
文化財重要文化財(国指定)
その他の文化財出典参考文献
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