川崎昭仁川崎 昭仁(かわさき しょうじ、1967年11月12日 - )は、長野県出身のギタリスト。自身のバンド活動を主に様々なアーティストと共演。コンポーザーとして多方面への楽曲提供もしているミュージシャン。血液型B型。 『車イスのギタリスト』と言われるが、その身体で弾くギターはテクニカルで、1989年にヤマハのコンテストでベストギタリスト賞を受賞するほど。本名は「あきひと」だが、小学校の卒業式で名前を間違えられてから「しょうじ」と呼ばれるようになり、現在では自他共に認める通り名になっている。 人物1967年11月12日、長野県東部町(現:東御市)に生まれる。 幼少の頃、原因不明の発熱により手足が麻痺(身体障害者手帳1種1級)。以後、車イスでの生活を余儀なくされ、3歳の時に治療のため茅野市に移住。 好奇心旺盛で活発な性格。絵を描いたり、パソコンでゲームを作ったり、作詞・作曲など創作することが好きで、バンドやギターに憧れていた。高校一年の時にテレビでサリドマイドで両腕のないシンガーソングライター、トニーメレンデスが足でギターを弾く姿を見て「足でギターが弾けるならこんなオレの手でも弾けるかも」と思いギターを始め、ネックを上から握る独自の奏法を編み出した。そしてギターに自分の可能性を見い出し、音楽活動に没頭するようになった。 高校卒業後には家出同然に上京し、『THE ALPHA』を結成。1986年、帰郷後もライブハウスを中心に精力的に活動を続け、1989年にYAMAHA BAND EXPLOSION ‘89でベストギタリスト賞を受賞。1992年にメンバーの一人が亡くなったのをきっかけに解散。 その後、様々なジャンルの人とコラボレートしたり、楽曲提供を行い、1993年に『SHOW』を結成。同年4月、オリジナルレーベル「α-Project」から1stシングル『真夜中のNEWS』をリリース。県内を拠点にライブハウスや各地のイベントでライブを中心に活動を展開。次第にマスコミやメディアに取り上げられ、活動の場を広げていった。1998年、‘98長野パラリンピックと併催された‘98長野アートパラリンピックのテーマソングのために書き下ろした2ndシングル『夢 -YOU・ME-』を1月にリリース。初週で3,000枚以上を売り上げた。 「いちギタリストでありたい」という思いからバンドでの活動に拘っていたが、2013年頃から学校などの講演会でトークライブのスタイルでソロ活動を始めた。2017年、イベントで知り合ったRikizoと『Streaming RED』を結成。現在ではバンドとソロ活動を両立している。 こうした音楽活動が称えられ、1996年には障害者の社会参加功労者として長野県知事賞を受賞。音楽以外の活動として、2004年4月から2010年7月まで「諏訪地域障害者自立支援センター(現、諏訪圏域障害者総合支援センター)」、2010年9月からは長野市に移住し、「特定非営利活動法人ヒューマンネットながの」で障害者福祉に従事。2018年4月からは長野県社会福祉協議会で福祉の人材育成に取り組んでいる。 2009年11月にはメンバーの友人だった女性と結婚。2013年、本人と同じ誕生日である11月12日に女の子が産まれた。娘の名前は、愛用のギターがメイプルでできていることから「かえで」と名付けた。 2021年に開催された東京パラリンピック開会式に出演。デコトラバンドのメンバーとして布袋寅泰、田川ヒロアキ、アヤコノらと共演した。翌2022年にはアゼルバイジャンで国交樹立30周年記念国際芸術祭「True Colors Festival」に出演し、初の海外公演を果たした。 バンド遍歴OFFHAND BAND1985年 THE ALPHA1986年 〜 1992年
Z[zi]1991年 〜 1992年
SHOW1993年 〜
SEMI1995年 cabbage batterfly2006年 - 2007年 Mae-Mix2008年 〜
7'Arc-en-Ciel2016年 〜
Stereaming RED2017年 〜
ディスコグラフィーシングル
EP
アルバム
オムニバス
収録曲「未成年」SHOW メディア
外部リンク
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