廣瀬佳司
廣瀬佳司(ひろせ けいじ、1973年4月16日 - )は、日本の元ラグビー選手、指導者。 プロフィール経歴茨木ラグビースクールで小2からラグビーを始め、島本高校2年時に全国大会に出場。3年では高校日本代表に選出され、カナダ遠征に参加した。 京都産業大学では1年からレギュラー入りし、2,3年時には大学選手権でベスト4に進出した。 日本代表には大学3年で初選出され、ワールドカップには1995年、1999年、2003年と3大会連続で出場した。 1996年、トヨタ自動車(後のトヨタ自動車ヴェルブリッツ)に入社。1998年度にはチームを12年ぶりの全国社会人大会優勝に導いた。 2006年に日本代表を引退。2007-2008シーズン終了後に現役引退した。 その後、解説者、トヨタ自動車コーチを経て、2012年度シーズンよりトヨタ自動車ヴェルブリッツ監督。 2015年オフ退団[2]。 2018年、ラグビーワールドカップ2019組織委員会職員[3]。 2019年、ラグビーワールドカップ2019アンバサダーに就任[4]。 2020年に京都産業大学ラグビー部BKコーチに就任[5]。 2021年に京都産業大学ラグビー部監督に就任[6]。 プレースタイル世界レベルのプレースキックの技術を持つことで知られ[1]、トヨタのトップリーグ昇格後は2004-05、2005-06と2シーズン連続で得点王・ベストキッカーの2冠を獲得した。 特に2005-06シーズンは、公式戦でのプレースキック成功率92.9%を記録した。[7] また、1999年パシフィック・リム選手権のトンガ戦で挙げた9PG(ペナルティゴール)は、テストマッチでのPGの世界タイ記録である。 プレースキックの際にはキックティーを使わず、砂でボールを立てることにこだわり続けた。その理由を廣瀬は、「グラウンドによって、芝の長さが違う。地面との距離を調整するためです」としている。[7] また、170cm・74kgの小さな体でありながら、堅実なタックルで堅いディフェンスを誇った。 受賞歴脚注
関連項目外部リンク
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