微笑みの国
![]() 微笑みの国(ドイツ語: Das Land des Lächelns)は、1929年10月10日にベルリンのメトロポール劇場で初演されたフランツ・レハール作曲の全三幕のオペレッタ。 「メリー・ウィドウ」と並ぶレハールの傑作とされる。 ハンガリー語では A Mosoly Országa、英語では Land of Smiles と訳される。 概要メリー・ウィドウの成功で一躍時代の寵児となったレハールは、その後、「ルクセンブルグ伯爵」(1905年)、「ジプシーの恋」(1910年)、「エヴァ」(1911年)、「青いマズルカ」(1920年)、「フラスキータ」(1922年)、「クロ・クロ」(1924年)、「パガニーニ」(1925年)、「ロシアの皇太子」(1927年)、「フリデリーテ」(1928年)等でさらに人気を高め、1929年にこの「微笑みの国」を発表、さらに「世界は美しい」(1930年)と「ジュディエッタ」(1934年)など、全部で30を越す舞台作品を書いた。 ことに第一次世界大戦後の作品には、この「微笑みの国」のように、喜歌劇には「ハッピーエンド」という常識を破ったものが多く、また、それ以外のものでも、それ以前の底抜けの陽気さとは違って、第二次世界大戦前の風潮を反映したロマンに溢れる内容と情緒豊かなメロディをもった作品となっている。 ヴィクトル・レオン(Victor Léon)の台本によってフランツ・レハールが1923年2月9日に初演したオペレッタ『黄色い上着』(Die gelbe Jacke)が旧作だったが、筋も音楽もごたごたとした未完成な作品であったという。これを基に、ルートヴィッヒ・ヘルツァー(Ludwig Herzer)、及びフリッツ・レーナー=ベーダ(Fritz Löhner-Beda)が改作してドイツ語台本を作成した。また、当時の人気歌手のリヒャルト・タウバーに合わせた新しい音楽(EX.「君こそ我が心の全て」)も加えて全面的に改作され、「メリー・ウィドウ」以来のヒットとなった。 叙情性に加え喜劇的描写や楽しい音楽も豊富で、ウイーンオペレッタの伝統を大きく逸脱はしていない。しかし、すでにレハール作品の大部分はウィーンではなくベルリンで初演されるようになっていた。なお、初演は1929年10月10日、ベルリンのメトロポール劇場。出版はウィーンのグロッケン出版社。 演奏時間序曲8:40 第一幕(音楽のみ)29分 第二幕(音楽のみ)40分 第三幕(音楽のみ)12分 合計1時間30分 上演時間1.5~2時間 台本原作は1923年2月4日にウィーンで初演されたヴィクトール・レオンの台本によるレハールの喜歌劇「黄色いジャケット」 新台本と詞の改作はルドヴィヒ・ヘルツァ(Ludwig Herzer)とフリッツ・レーナー(Fritz Löhner) 作品の成立背景作品の成立背景には19世紀以来ヨーロッパを席捲していたオリエンタリズムがある。しかし、ヨーロッパの人々の中国認識は極めて大雑把なもので、劇中スー・チョン殿下が4人の妻を娶らされる話も中国をイスラム教国と間違えて認識したことによる(但し、中国にも大官が自宅に複数の妾を蓄える習慣はある)。このように、現実認識は極めて曖昧でストーリーも実に通俗的なものであるが、音楽の美しさと完成度の高さで人気が高い。映画でありながら共にドイツ人にメイクを施して主役兄妹を演じさせた70年代のルネ・コロ主演作品、逆に舞台ながら兄妹に韓国人と日本人を起用したものの中国兵に兵馬俑のような扮装をさせて(時代設定は20世紀である)太極拳風の振り付けで踊らせた2001年のメルビッシュ湖上音楽祭上演など、厳密な考証よりはファンタスティックな東洋を描く上演スタイルが主流である。 「メリー・ウィドウ」が、カラヤン、マタチッチ、ガーディナー、ウェルザー=メストといった人気指揮者が全曲録音を手がけ、オペレッタに差別的だったウィーン、ベルリン、ドレスデンの旧宮廷歌劇場でも演目となっている点に比べると知名度は一歩を譲るが、実質上男声に主役のウェイトがかかる作品にもかかわらず、ドイツの大ソプラノ歌手シュヴァルツコップが全曲録音を残した6つのオペレッタに含まれるなど、古くから名作として位置づけられている。 構成全三幕 登場人物
あらすじ
聴きどころ第一幕
第二幕
第三幕
「メリー・ウィドウ」と並ぶ傑作として知られ、上記以外にも人気の高い曲が多くある。 編曲作・編曲家の鈴木英史によって吹奏楽編成用のセレクションが作られ、日本のアマチュア吹奏楽界で人気を呼んでいる。 関連項目
参考文献
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