怒羅権
怒羅権(ドラゴン[1])は、日本の首都圏を拠点とする中国残留日本人の2世らを中心とした[2]、ストリートギャング[3]。 2011年から、警察庁は怒羅権をチャイニーズドラゴンと呼称を決め、カタカナ表記するよう通達している。これは暴走族集団としての怒羅権の活動が広範化していることを踏まえ、総合的犯罪集団としての位置付けを意識したものと考えられる。2013年には準暴力団の指定を受けている[4][5]。 一般的には暴走族は怒羅権、マフィア化した犯罪組織をチャイニーズドラゴンと表記されることが多い。 概要東京都江戸川区葛西には、かつて中国残留孤児帰国者の一時入所施設「常盤寮」があり、日本に来た中国残留孤児2世により1988年頃に結成された[6]。 残留孤児2世は、日本語が十分に話せない者が多く、いじめや差別を受けやすかった。境遇を同じくする残留孤児2世が集まって怒羅権はできた[4][7]。経緯からも元は暴走族やマフィアの団体として結成した訳ではなかったが、後に非行少年化した[8]。 1989年には残留孤児2世の女子高校生が日本の暴走族グループに暴行を受ける事件が発生し、本格的な抗争に発展[4]。武装した怒羅権は対立する日本の暴走族を傘下に収め(90年頃には地元の暴走族はほとんど制覇し、王子や府中にも勢力を拡大した[9])、更に凶暴性を増していった[4]。 怒羅権は、暴力団対策法の適用外に当たる集団であるが、刃傷暴行・拳銃所持・殺人・強盗・覚醒剤密輸・危険ドラッグ密売・みかじめ料徴収などの凶悪犯罪が多い。90年代は暴走族から発祥したが、逮捕者には30代以上が多く、50代で逮捕されている者もいる。構成員らは蛇頭や東北系チャイニーズマフィア(東北幇)などと連携し国際犯罪とも関係している。 関東連合と並んで、暴力団対策法の適用外にあたる不良集団、いわゆる“半グレ”の顕著な例と言われる[10]。警察庁の把握によれば首都圏の各地に複数のグループが存在し、総勢は数百名とも言われる[11]。2013年に準暴力団に指定された[12]。 創立メンバー汪楠は最初のメンバーは12人だとしているが、初代総長の佐々木秀夫は創設メンバーは7人で汪楠は含まれていないと批判。 佐々木によれば、汪楠は葛西中学校時代の2年後輩であり、同じ残留孤児2世なのは間違いない、としている。しかし、偽史や偽歴史を作っていると厳しく批判している[13]。 名前の由来「ドラゴン」すなわち「竜」は「中国」を、『怒』は日本人への「怒り」を、『羅』は強敵を倒す「羅漢」を、『権』は自分たちの「権利」をそれぞれ表している[4]。 初代総長による名前の由来の見解漫画『湘南爆走族』を読んだ初代総長・佐々木が、仲間思いや絆の固さが自分たちにそっくりであり、自分達にも名前をつけたいと考えた。 そして、メンバー7名に共通する中国というルーツから、中国の象徴「龍」が相応しいとして、龍と書いてドラゴンと読むチーム名を佐々木が決めた。 その後、佐々木が16歳で恐喝により人生で初めて逮捕され、東京少年鑑別所(練馬区にあることから、通称ネリカン)に行き、小岩を拠点とする暴走族「荒武者」の頭と知り合う。 ある日、その頭に対して「龍」というチーム名をつけたことを話すと、「龍の1文字はかっこ悪く、カタカナのドラゴンもかっこ悪い。ドラゴンという名前をつけたいなら、そこに何かの意味を与えないとだめだ」と言われた。その意見に納得した佐々木は辞書を開いて過ごした。 佐々木が辞書で見つけた言葉が、怒りの「怒」、修羅の「羅」、権利の「権」だった。中国では「日本人の鬼」、日本では「中国人」と差別された。差別されて生きなければならないことに怒り、修羅のごとく戦い、すべての権利を手中に収める。それが三文字に込めた真の意味合いだった[14]。 汪楠による名前の由来の見解汪楠によれば、1986年にはチームの形になっており最初は名前がなかったが、怒羅権というチーム名がついたのは1988年頃。 当初、龍の末裔の中国人という自負から、「龍の末裔」を意味する「龍的传人」(ロンデイツオンレン)と名付けた。他の暴走族と同様に壁に落書きするが、中国語の簡体字で日本人が読めず、周囲の日本人から「ドラゴン」という名称を提案された。 「ドラゴン」と名乗っていたところ、メンバーは日本語が出来ず「トラコン」といった誤字が頻発した。また、「ドラゴンは一般的な言葉だから、チーム名にふさわしくないのではないか」という意見もでた。そこで、漢字に詳しいメンバーが漢字を当てて「怒羅権」にした[9] [15]。 情勢勢力暴走族グループは、東京都江東区、江戸川区[16]を縄張りとし、葛西怒羅権、深川怒羅権、府中怒羅権、王子華魂、赤羽華龍のようにいくつかの暴走グループがある。葛西怒羅権は2009年に金属バットで無関係な少年らの顔を殴る事件を起こしている[17]。怒羅権は刃物を所持して活動することがあったため、他の暴走族から「包丁軍団」と言われることもあった[18]。包丁の他、ナイフ、鈍器でもって[19]、敵対する暴走族を襲撃している。 1990年代は怒羅権の凶悪犯罪が多く、五星紅旗を掲げ、武器を所持して警察(交番、パトカー)[20]を襲撃する事件を繰り返している。脱退しようとした構成員[21]や暴力団員[22]、通行中の一般市民を殺害する事件なども起こしており、1999年6月に発生した殺人事件でメンバー1人が現在も逃亡中で、全国に指名手配されている[23]。 最盛期には3000人が所属したとも言われる。元メンバーの汪楠によれば、汪が所属した時期で多い時には確実に800人ほどが所属し、その頃にはメンバーの3分の2が日本人だったという[8]。 組織本部は葛飾にあり、東京都内に計5支部[24]、横浜、大阪、福井、福岡にもグループが存在する[25]。東京都内でクラブの実権を握り、それらクラブでイベントを開くギャル界やサークル界への影響力を確立、久田将義(2013年)によれば、とりわけ東京渋谷の闇社会における影響力には関東連合のそれを凌ぐものがあるという[18]。しかしかつては全国に30近くあった支部もだいぶん減り、幹部は5人だが、うち3人が逮捕されていて、幹部会を開けない状態にあるとされる[24]。組織は現在は総勢300人程度とされ、各支部は独立採算とされる[24]。創設メンバーである幹部は既に50代になっているが、誰も引退しないために高齢化が始まっている。現在、組織の大半を占めるのは在日2世で、だいたい40代後半、残りは3世で多くが20代とされる。[24]。 暴走グループは成人となるとマフィア的性格を帯び、東北グループ(東北幇)を形成する。通称「大偉(ター・ウェイ、後述)」と「小偉(シアオ・ウェイ)」と呼ばれる兄弟関係を中心にいくつかのグループに分かれている。大偉グループ(約200人)や金山(キンザン)グループ(約130人)[26]などがある。 日本の暴力団が暴力団対策法で厳しく規制されて弱体化しているのに対し、怒羅権は半グレ組織であるため暴対法の規制がない。また、中華圏の犯罪者・犯罪組織や国際犯罪とも繋がりをもつが、怒羅権構成員は日本国籍者や一般永住者であることも多く、犯罪で検挙されても日本国外への退去命令や強制送還などの処分となる事はほぼ無い。そのため、「暴力団も恐れる」チャイニーズドラゴンとして紹介されることもある[27]。 活動中国人の経営する店へみかじめ料を要求して刃物で恫喝[28]、パチンコの裏ロム、ハイウェイカードやクレジットカードの偽造[29]、振り込め詐欺[30]、偽装結婚や不法就労[31]、覚せい剤の密売、窃盗(自動販売機、車上狙い、貴金属)などの犯罪行為を行っている[32][33]。2002年9月には、住吉会系暴力団の幹部が歌舞伎町の喫茶店で中国人に射殺され報復とみられる事件が相次いだ[25]。 怒羅権の元リーダーは、残留孤児二世として来日し日本国籍と日本名を持つが、日本で高級車と貴金属の強盗・自動車部品密輸・カード詐欺などの犯罪行為を行い、覚せい剤密輸で一年間収監された。 怒羅権のメンバーは日中貿易など合法的なビジネスにも手を伸ばしている[34]。合法的な商売であっても客の取り合いなどで暴力事件を起こしている[35]。 他勢力関係歌舞伎町で新興の福建グループ(三弟グループ)[36]が上海グループと抗争し共倒れると、東北グループが勢力を拡大。住吉会と対立し、2002年には射殺事件を起こすが、後に和解し協力関係を築く[37]。ある中堅幹部は2009年に受けたインタビューにおいて、山口組、住吉会、稲川会、および工藤会などの暴力団組織の関係者らとの自身の繋がりを示唆している[33]。関東連合とは友好関係にある[18]。 事件
関連人物
脚注出典
関連書籍
関連項目外部リンク
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