恋はみずいろ
「恋はみずいろ」(こいはみずいろ、原題はフランス語でL'amour est bleu ラムール・エ・ブル)は、ヨーロッパのポピュラー・ソング。歌詞もフランス語。1967年発表。ピエール・クール (Pierre Cour) 作詞、アンドレ・ポップ (Andre Popp) 作曲。 はじめはヨーロッパで、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1967においてヴィッキー・レアンドロスの歌唱で発表され4位に入賞。翌年にはポール・モーリア編曲のインストゥルメンタルバージョンが全米ヒットチャート5週連続1位を獲得する[1]など爆発的にヒットし、数多くのアーティストによってカバーされ、1960年代 - 1970年代に突出した頻度で各メディアで流れた曲であり、また現在でもイージーリスニング音楽やBGMの定番のひとつとして用いられており、世界中の多くの人々に親しまれている曲である。 アメリカではポール・モーリア楽団の楽曲として、日本ではヴィッキー・レアンドロスの歌でヒットした[2][3]。ブライアン・ブラックバーン (Bryan Blackburn) が英語版の歌詞「Love Is Blue」を書いた[4]。 カバーポール・モーリアによるカバー
1967年の後期には、ポール・モーリアがイージーリスニング調にアレンジし、彼の楽団の演奏でインストゥルメンタル曲として録音。1968年1月にシングル盤として「Love is Blue (L'amour est bleu)」というタイトルでリリースされた。アメリカ合衆国でBillboard Hot 100の1位を記録。また、ビルボードの1968年年間チャート2位を獲得した[6]。イギリスでは全英シングルチャートで最高12位を記録した[7]。日本国内でも「恋はみずいろ」は、アルバム『パリのあやつり人形/ポール・モーリア・ヨーロッパ・トップ・ヒッツ』(SFX-7085)より1967年10月1日にシングルカット(SFL-1123)され、約12万枚のセールスを記録し、オリコンチャート最高18位を獲得した[8]。 ヴィッキーもポール・モーリア版のヒットとともに各国で再注目され活躍するようになった。日本でも上述したようにポール・モーリア版が1967年から大ヒット、ヴィッキーも1968年に来日、ファンも増え数年の間、何度もテレビに登場した。漣健児訳詞による日本語バージョンも作成されヴィッキーは日本語でも歌った。 なおヴィッキーはユーロヴィジョンで発表した時は強めの曲調で歌っていたが、ポール・モーリアのインストゥルメンタルが大ヒットしてからは、柔らかめの曲調で歌うようになり、1968年に初来日した際にもポール・モーリア風の歌唱をした。ヴィッキーによるドイツ語版 (Blau wie das Meer), イタリア語版 (L'amore è blu), オランダ語版 (Liefde is zacht) もレコーディングされた。 その他のカバーポール・モーリア版の大ヒット以降、「L'amour est bleu / Love is blue」をカヴァーするアーティストが急速に増えた。代表的な例が以下の様になる。
このほか、ベンチャーズ、シルヴィ・ヴァルタン、ジャッキー・ミットゥ、エド・エイムズ、ジョニー・マティス、マーティー・ロビンス、フランク・シナトラ、ローレンス・ウェルク、ミシェル・トール らによってカバーされた。 また、日本ではあべ静江や森山良子、CHARA、Theピーズ、石川ひとみ、101ストリングス・オーケストラらによってカバーされた。なお、いかなる理由か101ストリングス・オーケストラによるバージョンは、要注意歌謡曲指定制度において旋律は使用可能なBランク指定を制度が失効する1988年まで受け続けた[13]。 2010年代に入り、ドイツのテクノバンドであるスクーターが当楽曲を使用した「C'est Bleu」というタイトルのシングルを発売(アルバム「The Big Mash Up」にも収録)。この楽曲には原曲を歌唱したヴィッキーも参加しており、テクノチューンされた曲に新たにレコーディングされたヴィッキーの歌唱でマッシュアップされている。プロモーション・ビデオにもヴィッキーが登場しており、こちらもYoutubeで視聴可能である。 その他イージーリスニングの代表格といえる曲であり、各所で様々な形で使用されている。
脚注注出典
関連項目
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