愛の眼鏡は色ガラス
『愛の眼鏡は色ガラス』(あいのめがねはいろがらす)は、安部公房の書き下ろし戯曲。32景から成る。精神病院を舞台に、医者と患者、外からやって来た全共闘の学生らが絡み合うコメディ風な物語。テンポの早いセリフに乗った笑いあふれる趣の中にも、誰が本当の医者か患者か定かでない状況を通じ、「正気」の根拠を鋭く問い、不安な現代社会の状況を描いた作品である[1][2][3]。 1973年(昭和48年)5月15日、新潮社より単行本刊行され、同年6月4日に安部自らの演出で、田中邦衛・仲代達矢・井川比佐志共演により西武劇場で初演された[4]。 主題安部公房は、内容の掴みにくい『愛の眼鏡は色ガラス』のテーマについて、以下のように説明している。 あらすじ9つのドアが並ぶ精神病院の大広間で、椅子に座らせた裸のゴム人形の体を布でぬぐっている男に近づき、「自分の女房の裸を人前に平気でさらすなんて」と言う赤い白衣の医者。「女房? ただのゴム人形ですよ」と男が切り返すと、赤医者は、「そうそう、もちろんゴム人形さ。いやいや、ぼくの勘違い」と訂正する。そんなどちらが気違いなのか判らない医者と患者たちがたむろする病院内に、放火魔の女を追ってきた全共闘の学生三人がやって来た。ヘルメットをかぶった学生たちは、患者に好き勝手外出させている病院の体制を批判する。やがて学生たちは、放火魔の女Bとインチキ消火器のセールスマンの患者で資金稼ぎをしている病院をゆすり、金を要求する。 突然、赤医者が狂気の発作で踊り出した。一同がそれに気を奪われている隙に、背後のドアから看護人がオレンジ・ヘルメットの学生に忍び寄り、狭窄衣で締め上げた。赤医者がピンポン台のレバーを押すと、拷問台になった。そこへ乗せられたオレンジを見て、仲間の学生は降参する。そして男(ゴム人形の夫)から、東京を一挙に全焼することができるという「ハムレット」と称する小さな箱の発火装置の一つを見せられ、高値の現金で買うように言われた。学生が買えないとわかると男は、逆にこっちが君たちの目的を五千万で買いにまわろうとけしかけた。学生たちが相談して結論を出そうとすると、赤医者が、「君たちが目撃したことは、あれ全部治療だったんだよ」と言い出し、学生たちも入院治療しようとする。 「ハムレット」の小箱の中身がからっぽになり、誰かに盗まれた。昼間なのにあたりが夕焼けのように照らされ、室内が熱くなり、患者たちはそれぞれ右往左往する。停電し炎の轟音が鳴り響く中、ハムレットを待っていたオフェリヤきどりの女Aは、「本当に来てくれなくてもよかったのよ」とつぶやき、赤いレンズ眼鏡の赤医者は、「ちくしょう、光をよこせ!」と叫ぶ。突然、赤い光の中、広間に飾られた赤い自由の女神像が炬火を捨て歩き出し、女Aが所持していた大箱からラグビー大の卵を取り出し、その上にまたがり、体をゆらしはじめる。 登場人物
作品評価・解釈石沢秀二は、冒頭のシーンのゴム人形について、その人形が単に「小道具」ということではなくて、「一つの実体」として出ていて、小説『箱男』に共通するテーマである「狂気と正気」の関係が明確に出ていることが感じられるとし、ずっと読み進むうちに、そのテーマが「絶望と希望」という問題に次第に変化していくのが分かると解説しながら[5]、「狂気と正気、また今度は出口が鏡だし、見る、見られるという関係が、線や面でなく点で対応している感じを受ける」と評している[5]。 ドナルド・キーンは『愛の眼鏡は色ガラス』について、「安部さんの劇作家としての才能ばかりでなく、優れた演出家の舞台に対する深い理解を証明している」とし[3]、安部演出作品の中で一番の成功作だと評している[3]。そして、この作品のあらすじを述べることは極めて難しいにもかかわらず、観客は「走馬灯のように去来する人物の動きやせりふ」に見惚れ、「芝居の意味は何だろうかと疑問を感じる暇さえなかった」と、劇の様子を以下のように解説している。
おもな公演おもな刊行本
脚注参考文献 |
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