文田博資
ヒロスケ(文田博資ーーふみた ひろすけ)は、大阪府大阪市出身のロック系のシンガーソングライター。 人物1951年11月1日大阪生まれ。中1の頃ビートルズやベンチャーズに憧れ、ギターを手にし、特にビートルズの歌を真似始め、自室で「HELP!」[1]を歌った際、母が歌とは思えず慌てて飛んでくる。 高校時代はエレキバンドを結成。一度はデザイナーになろうと決意するも、デザイン学校を卒業する20歳の頃に、再びロックへ。 バンド活動を続けながら、役者や夜警、ジャズスナックのウェイター等も経験。 アメリカ映画や小説に傾倒していて、曲作りのインスピレーションとして、中でもピート・ハミルやアーウィン・ショーなどの小説にはハマっていた。詞の影響は、ジョン・レノン、ボブ・ディラン、トム・ウェイツ等もあり、楽曲風としてはレオン・ラッセルもあったと言われ、実際ラッセルの「A Song for You」などはライブで歌ってもいた。[2] 音楽を続けるかどうかの一か八かのケジメとして、ニッポン放送「ライオンフォーク’79」を受け、幸いにもグランプリを獲得。その直後、フォーライフ・レコード「GM&GMオーディション」でもグランプリを獲得し、ヒロスケとしてフォーライフレコードより28歳でデビュー。 1980年代に活動し、アルバム2枚とシングル5枚を製作。 ハスキーボイス(あるいはバンド仲間からは「顔に似合わない”悪ガキボイス”」との声も(笑))でブルース調、ソウル風、AORテイストも強い。 1980年のデビュー曲「いくつもの星が流れ」[3]は、1993年に西城秀樹によってシングルのA面としてカバーされる[4]。その他にも、多くの歌手がこの曲をライブなどでカバーしている。 朝日放送のドラマ「ザ・ハングマン」のエンディング「あ・れ・か・ら」[5]が名曲と評価が高い。これも多くの歌手がカバー。彼は同番組の第42話「リモコン・ヘリ空爆処刑」(1981年9月4日放送)にて、白石コウジ役でゲスト出演している。 タレントの兵藤ゆきと1996年一月に結婚。その際、彼の母からの提案で「向こうさんはお姉さんしかいないので、向こうさんが文田姓を名乗ると、兵藤家が途絶えてしまうので、あなたが向こうさんの苗字を取ったら?」を受け入れ、本名を兵藤博資とする。同年四月に長男が誕生(早過ぎる?)[1]。母の思いやりが実り、その子も「兵藤」! それ以前の1992年に、それまで読んだ小説の風景を実際に見たくてニューヨークに留学ーー観光旅行ではなく。すぐにいくつものジャズクラブに通い始める。ところが、大学で受ける社会学の興味が高まり、長期の留学になってしまい、やがて博士号課程まで進む。十年後、2002年からNY市立大学BMCC校で講師として教鞭を任され、そして博士号を得た後、助教授として教鞭を続ける。なので90年代以降の日本の事情(音楽や芸能)には疎い。2020年に引退し、帰国。 ディスコグラフィすべてヒロスケ名義。 すべてフォーライフ・レコードより発売。 シングル
アルバムオリジナル・アルバム
オムニバス・アルバム
出演番組
脚注注釈出典
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