旧植松家住宅
旧植松家住宅(きゅううえまつけじゅうたく)は、静岡県裾野市千福の裾野市中央公園内にある古民家。国の重要文化財に指定されている[1]。植松家は建久4年(1193年)に尾張国津島より当地に移住し、江戸時代には当地の名主を務めた[2]。1971年(昭和46年)には文化庁の古民家緊急調査対象となり、1973年(昭和48年)6月2日に国の重要文化財に指定され、翌1974年(昭和49年)に裾野市中央公園に移築された[2]。 構造寄棟造りで正面から北側にかけて土庇が巡っており、東を正面とし、土間、広間、座敷、納戸の3間取りで構成されている[3]。桁行16.059メートル、梁間北面7.878メートル、南面8.787メートル[3]。 歴史建築年代建物は建造年代についての資料はない。形式手法からみて、江戸時代中期(1700年頃)の建築と推測される[4]。 建物1971年(昭和46年)に裾野市石脇328番地にあった植松家住宅が文化庁の古民家緊急調査の対象になり、調査の結果、1973年(昭和48年)6月2日、国の重要文化財に指定された。これを受け、植松家が裾野市にこの建物を寄贈し、元の土地に新宅を建てたため、旧宅を保存するために裾野市中央公園(裾野市千福松ヶ窪)に植松家住宅を移築し、1974年(昭和49年)6月30日移築、修理が完了し、現在に至る[5]。 建物の位置の推移何度か住宅の位置が変わっており、宝永5年(1708年)2月には、住宅は深良用水の東に存在した。延享元年(1744年)と文政3年(1820年)には、深良用水が門前に流れる位置にある[6]。これについては、宝永2年(1705年)6月26日の夜、深良村須釜の新土手が決壊する大水害が起こったおり、浸水被害をうけたものとみられ[7]、次いで、宝永4年11月(1707年)宝永山の噴火の被害をうけたため、環境が安定した頃に、旧建物の用材をもって、移築したものと推察される。 植松家植松家は富士山南側の愛鷹山の東側に住む農家である。口伝によると、建久4年(1193年)源頼朝が富士の裾野で鷹狩りをした頃、尾張国津島よりこの地に移住し、代々名主を務めたといわれる[8]。 施設案内
画像
交通アクセス
脚注
参考文献 |
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