明治学院中学校・明治学院東村山高等学校
明治学院中学校・明治学院東村山高等学校(めいじがくいんちゅうがっこう・めいじがくいんひがしむらやまこうとうがっこう)は、東京都東村山市富士見町一丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。高等学校において、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では、第1学年から混合してクラスを編成する併設型中高一貫校[1]。学校法人明治学院が設置する。中学校・高等学校合わせて明治学院東村山中学高等学校と通称されることもある。ただし、高等学校は、白金台にある明治学院高等学校との区別のために校名に「東村山」が付くが、学校法人明治学院が設置する中学校は一校のみのため、中学校の正式校名には「東村山」が付かない。 概要キリスト教宣教師によって設立された学校であるため、キリスト教を用いた教育が行われている。毎朝、礼拝が行われるのが特徴。教員もクリスチャンが多い。授業は週6日制。 生徒の中には、海外にホームステイをしたり、1年間海外留学する者もいる。なお、同一敷地内の明治学院東村山高等学校へは原則として進学でき、一部の部活などは高校とも連携、教員も中高を兼任する。 以前の敷地は全学院で使用していたため28,221坪あり、野球場や2つのグラウンドも持っていた。その後学院発展のため西側11,191坪が売却され、現在の中高のみの敷地面積は広いグラウンドを含む17,030坪である。また、元駐日アメリカ大使であるエドウィン・ライシャワーの生家が「ライシャワー館」として残されているほか、聖書植物園などの施設もある。 沿革経緯明治学院の創立は、ヘボン式ローマ字で有名な宣教師ジェームス・カーティス・ヘボンが1863年に開塾した英学塾。その後、1877年に東京一致神学校となり、1887年明治学院として開校する。東村山の敷地は1955年川崎溝の口敷地の代替えとして元東京陸軍少年通信兵学校敷地の一部28,221,32坪を借り受け整備を開始、翌年1956年12月1日に入手する。1963年に当時の学院長だった武藤富男により、東村山敷地東側遊休地にまず東村山高校を新設し、追って中学校が移転してきた。このため、高校は白金にもあるが、中学校は東村山にのみ設置される形となる。 年表
明治学院大学への進学明治学院大学への進学には「明治学院大学系列校特別推薦」という内部試験制度がある。
3年間の評定平均値を基に成績順に並べ、上位の生徒から希望学科を受験する。各学科には特別推薦受験者の定員枠があり、特別推薦と他大学受験の併願は認められない。特別推薦合格者は必ず入学しなければならない。生活(欠席・遅刻・早退)の状況や、処罰によっては特別推薦が受験できない推薦除外条件がある。
※ 少数ではあるが、80%に入らなかった場合でもchallenge推薦が出願できる場合がある。 ※他大学を受験しても、成績優良者であればS推薦を受験することが可能であり、明治学院大学を抑えにしながら他大学を受験することも可能である。
願書提出は10月中旬頃で、受験生は願書とともに、希望学科に対する志望理由書を提出する。 交通
部活動中学校
東村山高等学校
特に高校ラグビー部は東京都ベスト8に進出するなど近年力をつけ始めている。 著名な関係者出身者(俳優・声優)出身者(作家)出身者(音楽)出身者(スポーツ)出身者(政治)出身者(学術)出身者(専門家)
他
その他
脚注
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