木の上の軍隊
『木の上の軍隊』(きのうえのぐんたい)は、井上ひさし原案、蓬莱竜太作による舞台劇。栗山民也演出、藤原竜也主演でこまつ座&ホリプロ公演として2013年4月5日に東京・Bunkamuraシアターコクーンにて初演された[1]。沖縄県の伊江島を舞台に、終戦を知らぬまま2年間ガジュマルの木の上で生活した2人の日本兵の物語を実話をもとに描いた三人芝居。 『父と暮せば』『母と暮せば』と並ぶこまつ座「戦後“命”の三部作[注 1]」の第2作と位置づけられ[2]、こまつ座公演として2016年と2019年に再演された[3][4][5]。 製作1945年4月の米軍上陸から終戦を経て1947年3月まで沖縄本島北部より北西約9kmの伊江島にあるガジュマルの樹上で生きのびた沖縄県出身と宮崎県出身の2人の日本兵の実話を新聞記事で知った井上は、1985年ころより沖縄戦を題材とした芝居を構想。5年後の1990年4月に『木の上の軍隊』として東京・新宿の紀伊国屋ホールで千田是也の演出、すまけいと市川勇の二人芝居で上演が決定しポスターも完成していたが、台本が書けずに全公演が中止となった。井上はその後も沖縄を訪れるなど四半世紀にわたって戯曲の構想を続け、2009年10月に肺がんが見つかった後も病床の周りに資料を積み上げて2010年7月に予定されていた紀伊國屋サザンシアターでの上演に向けて執筆準備を進めていたが、井上の2010年4月9日の死去にともなって未完の幻の作品となった[7][8]。 こまつ座社長の井上麻矢から井上の死去後「そのままになっていたアイデアを、違う作家に委ねて劇化したい」と相談を受けた栗山民也は、劇団モダンスイマーズの蓬莱竜太を推薦。井上が生前に残したものは題名と設定と2行のメモ書きのみでセリフやプロットも一切なく、蓬莱は山形県川西町の遅筆堂文庫に足を運び集められた膨大な資料に触れることで戦争から目を背けることなく正面から向き合う決意を固め、「戦争から遠い自分の世代が今、書く意味がある」「人間ドラマとして戦争がいまだに沖縄では続いているということを感覚的に伝えたい」として、3人の出演者のみでテーマに立ち向かうことを決めた。蓬莱は執筆に先立って沖縄を訪れ、2人の日本兵が実際に潜伏していた木に登って米軍包囲の中で身を潜めていた状況に思いを馳せ、島出身で島の平和を願う「新兵」を「沖縄」の、本土出身で戦争教育を受け国家を背負う「上官」を「日本」の象徴とすることによって、2人の噛み合わない関係を描くことで沖縄戦の描写に現代の沖縄と本土の関係も投影させて本作を書き下ろした[9][10][11]。 井上が信頼を寄せ井上作品の演出を多く手掛けた栗山が演出を担当し、2010年7月の井上ひさし版への主演が決まっていた藤原竜也が3年越しで主演を務めるオマージュ企画として、2013年4月に初演された[1][12][13]。舞台中央にそびえる大きな木の上で演じられ、大きな動作が制約されることから会話劇が中心となり、「語る女」の第三者的な立場での語りによって進行する[14]。 2016年11月にはこまつ座オリジナル版として再演され(第115回公演)、蓬莱が書き直した上演台本をもとに、「語る女」役を演じる歌手の普天間かおりが歌う琉歌など新たな演出が盛り込まれた[5][15]。2019年には第127回公演として、5月〜7月の日程で全国6都市にて再演された。 あらすじ
沖縄・伊江島で日本軍は米軍との激しい交戦の末に壊滅的な打撃を受け、ベテラン兵士の「上官」と地元・伊江島出身の若い志願兵の「新兵」は敵の激しい銃撃の中で追い詰められやっとのことで森の中に逃げ込み、大きなガジュマルの木の上へと身を潜める。太い枝に葉が生い茂るガジュマルの木はうってつけな隠れ場所となり、木の下には仲間の死体が広がっていき、遠くの敵軍陣地は日に日に拡大していく。連絡手段もなく、援軍が現れるまで耐え凌ごうと2人は終戦を知らぬまま2年もの間木の上で2人きりの“孤独な戦争”を続け、やがて食料がつき心労も重なった時に2人の意見の対立が始まる。 登場人物
スタッフ
上演日程
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受賞歴映画
2025年6月13日から沖縄県内で先行上映後、同年7月25日に全国公開予定[22][23][24][25]。監督は沖縄県出身の平一紘[6][22][23][24]、主演は堤真一と山田裕貴[22][23][24]。 キャスト(映画)
スタッフ(映画)
脚注注釈
出典
外部リンク
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