木下隆行
木下 隆行(きのした たかゆき、1972年〈昭和47年〉1月16日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。お笑いコンビ・TKOのボケ担当。相方は木本武宏。身長183cm、体重113kg(デビュー当時は70kg)。 略歴菓子問屋の社長だった父と大分県中津市出身の母(定子)との間に4人兄弟姉妹の末っ子として生まれる。父の会社は倒産したため、幼少期は苦しい生活を送る。 福岡県豊前市で4歳〜6歳まで育ち大阪府へ移住。大阪府立食品産業高等学校(現・大阪府立枚岡樟風高等学校)中退。 父の死後、母の開いた焼肉屋が成功し、兄の木下眞行、木下浩行はいずれも、「元祖鉄板鍋きのした」グループとして飲食店を経営している[1]。 フジテレビ系『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』では決勝進出する機会が多く、この番組に力を入れていると番組中で話していた。2009年1月27日に放送された同番組では4度目の決勝戦にて念願の初優勝を果たす。だがこの回以降、決勝まで駒を進められていない[注 1]。声質が桑田佳祐に似ており、桑田の声帯模写を十八番としている。 2016年、株式会社ウィゴーが展開するアパレルブランド「BUCCA 44」(ブッカ フォーティーフォー)のディレクターに就任し、販売開始[2]。 2020年4月1日からは自らの発信の場として開設したYouTubeチャンネル「木下プロダクション」での動画投稿を開始[3]。初投稿の動画として前年から報じられていたパワハラ騒動の謝罪・釈明動画を公開し、当面はYouTuberとして活動することを動画内で表明した[4]。初投稿動画は同月3日正午時点で再生回数13万回を突破するも、高評価数400程度に対し、低評価数は2万以上と異例な数字になっており、その後も低評価数は伸び続け、低評価数の日本記録(62万バッド)。再生回数500万回以上の動画における高評価に対する低評価率の世界記録(98.2%)を樹立した[5][6][7]。その後、自身のYouTubeチャンネルの低評価の多さを「おいしかった」、ユーチューブの仕様が低評価数非公開に変わった事について「羽をもぎ取られたような思いでいっぱい」と述べた[8]。非公開になったことで上記の記録は現在は、不明となった。 5日放送の『ワイドナショー』で6ヶ月ぶりにテレビ復帰し、番組内でパワハラ報道を認めた[9]。9月20日配信『チャンスの時間』(ABEMA)でバラエティー番組に復帰[10]。大晦日の『絶対に笑ってはいけない大貧民GoToラスベガス24時!』でも出演。 2021年9月4日、1年半ぶりに地上波番組『スパシャンpresents 超☆爆!遊ビズム研究所』にてレギュラー復帰が決定[11]。 同年3月、元雨上がり決死隊の宮迫博之のYouTubeチャンネルにて、宮迫、木下、バッファロー吾郎A(バッファロー吾郎)の3人によるYouTubeチーム結成が発表された[12]。 2023年1月23日、木本の謝罪会見に登壇し、3年ぶりに公の場でTKOの2人が横並びとなった。会見ではコンビ活動の復活を明らかにした[13]。 2024年9月、こたけ正義感とのユニット「はじまりの歌」としてM-1グランプリに出場し、同年30日に1回戦を通過。10月18日には2回戦も通過した[14]。 2024年11月23日、特殊詐欺被害に遭い掛けた。ニセ警官から電話が掛かり、住所や口座残高を教えてしまったが、有名人と知った加害者が何かしらで犯行が知られるとマズいと犯行を切り上げた。石川県警のソガと名乗った為、電話を切った後、石川県警に確認の電話を掛けた所、「ソガと言う警官はいない。特殊詐欺だろう」と言われた。金銭被害はなかったが住所を教えた為、加害関係者が来る可能性から自宅周辺が警戒区域になる。 人物容姿デビュー当初は痩身かつ183センチの長身であり、アイドル的な人気を持っていた。デビュー当時から容姿が大きく変貌を重ね、それを活かして事務所の先輩でもあった笑福亭鶴瓶やせんとくんの顔まねが持ちネタ。なお鶴瓶のものまねでは本人から譲り受けた眼鏡を使用している。またせんとくんのオフィシャルサポーターも務めていた時もあり、就任式でせんとくんから12個のポーズを伝授された[15]。 27時間テレビ、ペットボトル投げつけ騒動から事務所退所まで2018年、FNS27時間テレビ内で行われた「さんまのお笑い向上委員会」に柏餅のかぶり物を着用して参加した[16]。収録開始から2時間の間、一言も発していない事にザブングル加藤が気づく。他にもクロちゃん(安田大サーカス)、ロッチ・コカドなど目立った動きを見せていなかった出演者はいたものの、加藤は木下に的を絞った。加藤の「2時間の収録ずっと黙ってさ、柏餅付けてさ、いっぱい考えてきたんやろ」という質問に対して木下は「…なんにも浮かばへんわ!!」と返した。この1度目だけは笑いが起こったが、その後、番組終盤にかけて何度も加藤にいじられ、次第に木下が対応できなくなり、最後は司会のさんまに「もう勘弁してくれ。間延びしたし」と真剣な口調で注意され収録を終えた。そして、これらが後の「ペットボトル投げ付け」騒動の引き金となる。 末に開かれたよゐこ・濱口優の結婚パーティーに出席。年末に行われたお笑いライブで濱口に渡すため後輩から集めた会費でトラブルとなった事や、27時間テレビでの振る舞いを後輩に指摘された木下は激昂し[17]、ペットボトルを投げ付けたとされている。パワハラ疑惑について聞かれると「事実です」と認めた。さらに「クロちゃんの顔面踏みつけ」について認めたとされていたが、そもそも木下をクロちゃんがイジるというドッキリ企画があり、木下の楽屋に入った瞬間にクロちゃんが土下座するというノリで、クロちゃんが楽屋で足を組んでる木下の足に顔を滑りこませに行ったものだったとみなみかわが証言している[18][19]。「後輩に自身のブランドの服を押し売り」したとされる疑惑についても認めているが、謹慎解除後には「(定価の)半額やで」と言い訳するのが持ちネタとなっている[20]。 メディアが大きく取り上げたことで、2020年3月15日をもって松竹芸能を退所するに至った。今後はフリーで芸能活動を行うことを3月5日に発表[21]。コンビは解散しない。3月31日、新会社「UtREE」を設立[22]。同日、公式サイトを開設し、ブログも再開設した[22]。 後に、事の発端である27時間テレビで共演した加藤は「自分がいじったことで(木下が退所まで追い込まれて)あんなことになるとは想わなかった。責任感じてる」と木下に対してさんまのお笑い向上委員会内で、発言した。 2020年4月1日より公式YouTubeチャンネル「木下プロダクション」において活動開始[23]。 6ヶ月ぶりのテレビ復帰となった2020年4月5日放送分の『ワイドナショー』において、パワハラ騒動については事実であると認めた。退所について「松竹芸能はアットホームで仲のいいというイメージがあったのでそこを傷つけてしまったということで、居づらくなってしまったというのがすべて。(中略)それ(退所)が僕のみそぎの方法かなと思う」と理由を明かした[24]。 先輩の松本人志(ダウンタウン)は「そんな暴力的な悪い木下を俺は知らないので、にわかに信じられん部分はあったが」とパワハラ報道について当惑していた胸の内を明かした[25]。また、松本は2020年4月5日放送分の『ワイドナショー』で木下が6ヶ月ぶりにテレビ復帰し騒動について謝罪した際、「僕らは頭がおかしいので、こういうことがあっても木下、笑えてしまうのね。俺はもう一般の人の感覚ないから。どんな奴でも面白かったら笑ってしまうんですよ」とフォローした[26]。田中裕二(爆笑問題)は「俺らは良い奴としか知らないから、なんとも言えませんけどね。全然、普通に愛想の良い奴だから」と木下が退所した際に木下を評し、太田も「本当に悪い奴だったのかね?」と一連の醜聞からなる人物評を疑問視していた[27]。このように、先輩芸人からの評判は概ね良好であったと見られる。 プロレス発言とその波紋上記騒動に関して、2019年秋に木下がテレビ番組『ワイドナショー』にて「プロレスみたいなもの」とプロレス=申し合わせがあった上でのやり取りと受け取れる表現。これを取り上げたネット記事にプロレスリング・ノアの丸藤正道が「この『プロレス』ってどういう意味? 全く理解不能。どこに‘プロフェッショナル’の‘レスリング’があるわけ?」「こっちは‘プロレス’守るために必死にやってんだよ」とツイッターで訂正を求めた。 2021年12月16日、亀田興毅主催の「3150ファイトVol・1」で丸藤とエキシビジョンながら対戦。ボクシングデビューを果たし和解に至った[28]。 実家姉は株式会社ハジメフーズ社長の山元佳子、空とぶからあげなどが有名。母は唐揚げ店も経営しており、隆行の所属した松竹芸能に文化人カテゴリで所属している。現在は木下の長兄・眞行が経営者。次兄・浩行も「鉄板鍋づくし」「つけ麺屋ちっちょ」などを経営する実業家。1998年に発売された松竹所属の若手によるビデオ『よゐこ T・K・O ますだおかだ のイズ アメリカザリガニ DA-DA』のT・K・Oのコーナーでは木下の母が出演し、よゐこと共に「きのした」のCMを制作した(木本家の自動車販売店のCMも作られ、5秒ほどではあるが木本の両親が出演している)。また、ますだおかだのラジオ番組『どーだ!ますだおかだ』の番組スポンサーを務めていた時期もある。 出演作品コンビでの出演歴についてはTKOを参照。 テレビ番組
お笑いの日 2022年10月9日 ウェブテレビ
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脚注注釈出典
外部リンク
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