朴吉淵
朴 吉淵(パク・キルヨン、朝鮮語: 박길연、1943年1月26日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の外交官、政治家。国連大使、外務次官などを歴任。金正日総書記からの信頼が厚く、対米問題について担当した[1]。 経歴1943年に日本統治下の平安北道(現慈江道)に生まれる[2]。国際関係大学卒業[2]。1969年に駐ミャンマー領事に[2]、1975年には駐シンガポール総領事代理に就任した[2]。1982年に外交部米州局長に就任した[2]。翌1983年には外交部副部長に就任し[2]、同年2月にインドで開催された非同盟諸国首脳会議に参加した[2]。1986年に最高人民会議第8期代議員に選出され[2]、9期まで務めた[2]。1985年に国連北朝鮮代表部首席代表に就任し[2]、1991年7月には国連加盟申請書を提出した[2]。同年9月に国連加盟を果たすと国連大使に就任し[2]、同年11月よりコロンビア大使を兼任[2]。1995年にはジョージア州アトランタにあるコカ・コーラ本社を訪問した[3]。1996年6月に国連大使を解任され、中東担当の外交部副部長に就任した[2]。同年9月より外務次官[2]。1998年7月に実施された最高人民会議第10期代議員選挙では選出されなかった[4]。2001年12月に国連大使に再任され[1][2]、アメリカのプリチャード朝鮮半島和平協議担当特使と会談するなど対話の意思を見せ[5]、六者会合の受け入れを表明した[6]。2002年からカナダ大使を兼任[2]。 2006年に北朝鮮が核実験を実施し、安全保障理事会で制裁決議が採択された際には「朝鮮民主主義人民共和国はこれを宣戦布告とみなし、物理的な報復手段をとる」と述べ[7]、議場を蹴立てて出た[8]。2008年8月には任期が終了したため国連大使を退任し[9][2]、外務次官に就任した[2]。2010年9月には北朝鮮代表として国連総会で基調演説を行った[10][2]。2012年には77ヶ国グループ外務長官会議で演説を行い、経済を改善し、国際交流を奨励すると述べた[11]。 脚注
参考サイト
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