東京理科大学野田キャンパス
東京理科大学 野田キャンパス(とうきょうりかだいがく のだキャンパス)は、東京理科大学のキャンパスの一つである。 概要東京理科大学野田キャンパスは、1966年(昭和41年)に竣工し、工学部の一部を設置してスタートした[1]。 野田キャンパスは東京ドーム10個分の広大な敷地を誇り[2]、敷地面積は430,430㎡である。 キャンパスの周辺環境はよく、近くには利根運河が流れ、散歩を楽しめる運河台緑地、運河水辺公園がある。野田校舎の近くには、霊波之光という宗教法人の建設物がある。最寄り駅の「運河駅」から「柏駅」まで電車で10分で行ける 東京理科大学は野田キャンパスを「リサーチパーク型キャンパス」と位置づけており、再構築に伴って様々な研究施設が建設されている。また、グラウンドや体育館、宿泊施設などが完備され、講義棟や、実験棟、研究センター、薬学部キャンパスなど新しい施設も多い。 1958年、東京理科大学は国分寺校地(1942年および1943年に購入し、農業理科学科が置かれ、同学科廃止後グラウンドとなっていた)の売却益をもとに、千葉県野田市の87,491 m2の土地を購入し、1959年11月に運動場の造成が完了した。1966年3月に1号館(講義棟)を竣工し、野田校舎(野田キャンパス)がスタートした。1966年6月までに171,652m2、1977年度までに572,679 m2の校地を取得した。 1967年(昭和42年)4月1日 - 野田校舎(野田キャンパス)に、理工学部(数学科・物理学科・建築学科・工業科学科・電気工学科・経営工学科・機械工学科)を設置した。 2023年(令和5年)4月、 理工学部を「創域理工学部」に名称変更し、数学科を数理科学科に、物理学科を先端物理学科に、情報科学科を情報計算科学科に、応用生物科学科を生命生物科学科に、経営工学科を経営システム工学科に、機械工学科を機械航空宇宙工学科に、土木工学科を社会基盤工学科に改称した。 沿革
交通アクセス脚注
関連項目外部リンク
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