栗原玲児・土曜焦点
栗原玲児・土曜焦点(くりはられいじ どようしょうてん)は、札幌テレビ放送で放送されていた討論番組。 概要栗原玲児を司会に据え、中央の知識人と地元視聴者が円卓を囲み過疎・北海道旧土人保護法・北方領土・原子力発電などの社会問題から学生・主婦などの普遍的で身近な話題まで様々なテーマで意見を交わし[1]、北海道の抱えるあらゆる事象に迫る討論番組[2]。主婦層を主なターゲットとして女性像等主婦の生きがいに関するテーマの他、社会・政治への関心も考慮して社会問題も数多く取り上げた[3]。 1969年大晦日に放送された「ゆく年くる年」でSTVが担当した札幌市時計台前からの中継にて、レポーターを務めた栗原玲児の若者とのテンポの早いやりとりをスタッフが目にしたことをきっかけとして栗原を司会に据えた番組制作を行うこととし、伊坂重孝報道制作局長が教養番組に新たな要素を付け加えることを検討する中で、北海道の地域社会にダイレクトに働きかける問題提起的な番組を志向し、従来ラジオ番組の領域とされていた討論番組の常識に対立する形で発言者と聞き手の表情をテレビに映し対話のドキュメントを展開するトーク番組として本番組が企画された[1]。制作局長を務めていた清水幹夫は「人間性の尊厳や精神文化を人間のみが持つ言葉と感情で確かめ合う必要がある」「見方や考え方が二者択一的な結果の方向に拘束され、過程を重視していないことに気づいた、テレビはこうした傾向に責任の一半を負うべき」「人間の人間による討議を通して人間ドキュメントを描こうということにまとまった」といった考えをSTVの社内報で述べた[2]。 番組当初にはテーマを明確にする工夫として序盤に寸劇のコーナーを設けたり、複数のグループの討論から開始しそれを下敷きにメイントークへ移行する形や、大通公園や団地での取材映像を挟むといった構成も行われたものの、その後栗原とSTVアナウンサー男女各1名の司会3名を中心にパネラー6-8名が座り討論を展開する構成に落ち着いた[3]。1972年12月までに延べ1,000人以上のパネラーが出演し、学者や評論家などの他に市民の少数意見を大事にする姿勢もとりパネラーのうち3分の1は一般主婦が参加[3]、1週で収まらない内容の際には2週連続の構成で放送した[2]。スタジオ内には従来の視聴者参加番組に見られるような観覧者を据えた雛壇を配さず視聴者を聞き手とする彼我の関係を避けるものとした[3]。 番組の終焉1973年2月10日・17日放送にてマスコミ批判が高まる世相を反映しマスコミの存在を総点検する思いを込めた「マスコミ告発シリーズ」の企画としてパネラーに鈴木均を筆頭に釧路新聞・夕張タイムス・北海民友新聞・日高報知新聞といった道内中小紙の関係者が据えられ2月7日に収録を実施[4]、「われらみなジャーナリスト」の副題で大新聞を批判しジャーナリズムのあり方を考える内容を展開[5]。しかし放送前に単独スポンサーの北海道電力が同放送回の提供を拒否し局長会にて善後策を協議し、ノンスポンサーでCM映像にワイプを掛け「STVの自主放送でお送りします」のメッセージを入れて放送、その後北電は3月一杯での放送終了の方針を通告[4]。伊達火力発電所建設計画に関して地元住民の建設反対運動に対抗し新聞社へ働きかけていた状況の中で「大新聞の機嫌を損ねる番組のスポンサーにはなれない」との方針となり、同年3月をもって終了となった[5]。北電の広報課長は月刊クォリティの取材に対し「STVが制作する内容にはノータッチだが、公共事業として地域に密着するのに相応しい番組ではないため改編期でもあり降板した」との見解を延べている[4]。 放送時間
出演者
放送リスト
書籍
参考文献
出典
|
Portal di Ensiklopedia Dunia