森田直行
森田 直行(もりた なおゆき、1961年12月1日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属する調教師。滋賀県出身[1]。史上初めて厩務員から直接調教師試験に合格した調教師である[2]。 来歴1984年10月にJRA競馬学校厩務員課程に入学。1985年1月に栗東・長浜彦三郎厩舎の厩務員となる。1988年8月からは長浜博之厩舎、1989年3月からは福島信晴厩舎、2007年3月からは松田博資厩舎で厩務員を勤めた[1]。最も長く勤務した福島厩舎では様々な仕事を任され、栄養学、獣医学を学んだ[2]。 2012年に調教師試験に合格[3]。矢作芳人調教師の下で1年間技術調教師として研鑽を積み[2]、2014年3月1日に厩舎を開業。同年6月14日の阪神11R(安芸ステークス)をキョウエイアシュラで制し、初出走から通算64戦目で初勝利を挙げた[4]。同年9月11日にはテレ玉杯オーバルスプリントをキョウエイアシュラで制し、ダートグレード競走初制覇[5]。 開業初年度は中央では4勝。2年目と3年目も8勝ずつと、初年度から3年連続で二桁の勝ち星には届かなかった。しかし、調教方法に変化を加えた2017年からは勝ち星を伸ばしており、同年は22勝を記録している[2]。 2018年7月29日、アイビスサマーダッシュを1番人気のダイメイプリンセスで制し、開業6年目でJRA重賞初制覇。2着にも管理馬のラブカンプーが入り、自身の初重賞をワンツー決着で飾った[6]。 2021年1月31日、小倉競馬第4Rでコーンススが勝利し、JRA通算100勝を達成した[7]。 厩務員からの転身厩務員だった森田が調教師を志したきっかけは、福島信晴厩舎に所属していた時期に[8]、全国競馬労働組合から独立した組合「21世紀」の組合長が「調教師試験を受けてみろ。これからは助手からもバンバン受かる時代が来る」と全組合員に対して述べた言葉であった。ただし、調教師試験の受験まで辿り着いた厩務員は森田ただ1人で、40~50人いたという同志は勉強が続かず脱落していった[2]。体重の増加で重い時は約70kgに達し、オレンジ帽(調教厩務員)時代に福島師から「もう乗らんでいい」と言われていたため、調教助手を経ての受験は選択肢から外れていた[8]。 森田は受験期について、「最初の3年ほどは適当にやっていた。でも、時間の無駄だし、本腰を入れて勉強したら5回目に1次試験を受かってね。当時の公正室長に『厩務員から受かりますかねぇ』って相談したら『関係ないから頑張れ』って。それでやる気が出た」と振り返っている。仕事中も勉強したメモをポケットに入れたり、携帯電話に保存した競馬法規を読んだり、「風呂と食事以外は勉強していた」という生活を続けた[2]。 2011年5月には妻をガンで亡くし、受験を断念することも考えたが、公正室長の励ましや、後押しをしてくれていた妻の思いに背中を押され、受験を継続。翌年、11回目の挑戦で悲願の合格を果たした[2]。 厩舎の理念は『馬を壊さず鍛える』。調教方針はかつて所属した松田博資厩舎のスタイルを受け継ぎ、ハードな調教を実施している。ハードな調教には故障のリスクがついて回るため、松田と同様に、朝一番に全馬の脚元や歩様をチェックして、運動に出る前も歩様を見て送り出すことを日課にしている[2]。 調教師成績概要
主な管理馬重賞優勝馬※括弧内は当該馬の優勝重賞競走
その他年度別成績森田直行の年度別成績(netkeiba.com)を参照 脚注
関連項目外部リンク
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