極道の妻たち 死んで貰います
『極道の妻たち 死んで貰います』(ごくどうのおんなたちしんでもらいます)は、1999年公開の日本映画。監督は、関本郁夫。主演は、高島礼子。通称『極妻(ごくつま)』シリーズの第12作目。高島版としては第2作目。本作では、京都府を舞台にヤクザの跡目問題に絡んだ傘下の2つの組の金を巡る攻防、ヤクザと関わる3人の女たちの情念や対立などが描かれている。 東映ビデオの製作で[1]、岩下版極妻に比べて予算は三分の一[1]、撮影も16ミリで[1]、劇場公開は三週間限定で全国二館のみだった[1]。東映は主にビデオレンタルやテレビ放映で収益を上げる「Vシネマ」と位置付けていた[1]。 キャッチコピーは、「夫いのち、と決めております!」[2]。 作中の館山組では、「当代総長の死後100日目に投票により跡目を決めること」が昔からのしきたりで、跡目を巡って拝島組組長・拝島安次と半沢組組長・半沢友明の一騎打ちによる投票が開かれる。ちなみに安次は服役中で投票の会合に参加していないが上記の決まりや、出所が近いこともあり候補者として名を連ねている。 あらすじ京都のヤクザ組織・館山組では、七代目となる跡目を決めるため最高幹部たちによる入れ札(投票)が行われた。入れ札は館山組傘下である拝島組組長・拝島安次(佐川満男)と半沢組組長・半沢友明(原田大二郎)との一騎打ちとなり、服役中の拝島の代わりに出席した妻・久仁子(高島礼子)がその行く末を見守る。その結果、七代目に半沢が選ばれるが正式な襲名披露までまだ数ヶ月あり、幹部と話し合った久仁子はその間に巻き返しを図ることに。 半沢は愛人・深町飛鳥(東ちづる)がママをするクラブからの帰り際何者かにより襲撃されるが、店の従業員により命拾いする。後日、飛鳥は店のオーナーである久仁子から、組の資産を増やすためビルの競売を前に店を明け渡すよう告げられてしまう。別の日、飛鳥は半沢襲撃事件で怪我を負った従業員を見舞うと、同じくお礼を言いに来た半沢の妻・しのぶ(斉藤慶子)と鉢合わせになり女同士の火花を散らす。さらなる資産運用を考える久仁子のもとに、拝島組組員・神崎から10億円の土地売買を提案されたため神崎に任せることに。 半沢は兄弟分・唐津篤彦(三田村邦彦)から入れ札を買うために館山組の金を数億円無断使用したことを知らされ、結果的に共犯者の立場となる。弱みを握られた半沢は、拝島組を潰す代わりに半沢が七代目を継いだ後、3年をめどに唐津に八代目を継がせるよう約束させられてしまう。半沢から唐津に弱みを握られたことを聞いたしのぶは、夫に唐津に従うフリをして跡目を継いだ後、約束を破るよう助言する。飛鳥は店に来た拝島組組員がヤミ金業者から土地購入代として10億円借りるのを耳にし、半沢に密告する。 その見返りに競売に出ていた久仁子のビルを半沢に落札してもらった飛鳥は、不満を持った久仁子と取っ組み合いとなるが勝負に勝って納得させる。土地取引の担当組員が不動産屋と共に現地に訪れるが、土地の見張り役を名乗る男たちから「この土地は半沢さんの物」と告げられる。嫌な予感がした久仁子が土地取引を取りやめようと現地に駆けつけると、担当組員から「半沢の罠だった」と聞かされる。 半沢が飛鳥の部屋にいたところ、しのぶが現れ、組員が警察沙汰のトラブルを起こしたことを知らされ妻に助けを求める。2人の様子に愛人として無力感を感じた飛鳥は、その夜、久仁子の前でヤミ金業者を脅して土地取引詐欺は半沢ではなく唐津が裏で糸を引いていたことを暴露させる。飛鳥が街を出た後、唐津は人を使って半沢や服役中の拝島組組長を立て続けに殺して七代目候補として名乗り出る。久仁子としのぶはそれぞれ夫たちに別れを告げた後、唐津組事務所に向かい妻としてのけじめをつける。 キャスト
半沢の関係者
拝島組
飛鳥のクラブの人たち
その他の主な人たち
スタッフ
主題歌
製作関本郁夫監督は、本作と同じ年に公開された『残侠 ZANKYO』(俊藤浩滋プロデューサーの遺作)で、図越利一会津小鉄会三代目会長の若き日々を描く京都最大の被差別部落「崇仁地区」を初めて撮影した[1]。会津小鉄会組員のほとんどは崇仁地区を出目に持ち、また、組の縄張りでもある崇仁地区のロケはそれまで誰にも許さなかったが、図越会長の伝記映画を作る関本だけに撮影を許諾した[1]。関本はここを『残侠 ZANKYO』において戦後の闇市に見立て、また、本作の東ちづる演じる深町を当地に出目を持つ祇園のクラブママとして描いている[1]。 エピソード高島礼子、斉藤慶子、東ちづるの三人の女優が共演し[4]、役柄的にはもらい役の東にどうしても目が行ってしまうところであった。しかし、高島は「絶対負けるもんか」という女のライバル意識が強烈で、二人は舞台挨拶で一言も口を利かなかったといわれる[5]。高島は「斉藤さんは『目が悪いから見えない』とふざけたことを言うし、東さんのケンカシーンは実際に血みどろになりました」などと話している[4]。 作品の評価伊藤彰彦は「男たちの跡目争いという縦糸への高島、斉藤、東、三人の女の横糸の絡め方が見事で、このような脚本は構成力に優れた高田宏治だからこそ書き上げることができた。スタッフは京都の被差別部落にキャメラを持ち込み、鴨川の清流の中で和服姿の高島礼子と東ちづるが乱闘する修羅場を、女性映画の名手、関本郁夫は粘りに粘って撮り上げる。本作の高島礼子は『極妻』全16作中、一、二を争うほどの『震えが来るほどのいい女』として光彩陸離たるものがあった。東ちづるも、被差別部落で生まれ極道の妻にしかなれなかった女の哀しみを完璧に演じ切った。かくして本作は、タブーだった被差別部落とヤクザ社会の関係に日本映画で初めて本格的に踏み込んだ。『極道の妻たち』は第12作に於いて、Vシネマでありながら画期的な達成となったのみならず、日本のヤクザ映画史の最後の徒花として結実した」などと評している[1]。高島と東が取っ組み合った鴨川べりのバラックが建ち並ぶ光景は既に消え失せ、主たるロケが行われた場所には現在、京都市立芸術大学の清潔なキャンパスが建っている。崇仁地区の当時の姿を捉えた映像は、日本の商業映画では本作のみとされる[1]。 脚注
外部リンク |
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