榎原一夫
榎原 一夫(えばら かずお、1926年〈大正15年〉4月16日[1][2] - 2000年〈平成12年〉7月24日[1])は、日本の政治家。1971年から1991年まで大阪府吹田市長を務めた。藍綬褒章、勲三等旭日中綬章。 来歴大阪府出身。1948年(昭和23年)3月、旧制摂南工専卒業後、吹田市役所入り[2]。市職員組合委員長など歴任した[2]。 1971年吹田市長選挙1971年(昭和46年)、吹田市長選に社会党と共産党の推薦で立候補し、自民党と民社党推薦で現職の山本治雄と新人1人をやぶり初当選を果たした[3][4]。 ※当日有権者数:163,775人 最終投票率:66.27%(前回比:-pts)
同年5月14日に就任した[5]。 同和行政の進め方をめぐり、1期目の途中で社会党が与党を離脱した。 1975年吹田市長選挙再選を目指した1975年(昭和50年)の市長選では共産党単独推薦で臨むこととなり、社公民に自民党が相乗りした対立候補に辛勝する[6][7]。 ※当日有権者数:184,765人 最終投票率:61.31%(前回比:
1979年吹田市長選挙1979年(昭和54年)の市長選でも当選し、3選を果たした[8][9][注釈 1]。 ※当日有権者数:202,762人 最終投票率:61.56%(前回比:
1983年吹田市長選挙1983年(昭和58年)の市長選では共産以外の4党から推薦を取り付ける体制となり4選を果たした[10][11]。 ※当日有権者数:219,780人 最終投票率:56.34%(前回比:
1987年吹田市長選挙1987年(昭和62年)の市長選では新人との争いとなったが、大差で5選を果たした[12]。 ※当日有権者数:234,291人 最終投票率:48.17%(前回比:-pts)
1991年(平成3年)の市長選挙には立候補しなかった[13]。 2000年7月24日死去。74歳。 市長としての取り組み
脚注注釈出典
関連項目
|
Portal di Ensiklopedia Dunia