樋口恵子 (政治家)
樋口 恵子(ひぐち けいこ、1951年 - 2023年9月15日)は日本の政治家、障害者運動の社会活動家、著作家である。 来歴1951年、高知県安芸市生まれ。1歳半で脊椎カリエスを罹患し、中学時代は寝たきり状態の中で施設での生活を体験する。安芸高校の商業科を卒業。このころ、後のパートナーである近藤秀夫に出会う。 1972年、近藤と結婚した。埼玉県へ移り、近藤と生活しつつ高千穂商科大学で会計学を専攻する。卒業後は東京都町田市で障害者の訪問介護事業に携わる。 1984年、ダスキンの「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の研修生としてアメリカにわたる。カリフォルニア州バークレーの自立生活センターで身体障害者や知的障害者の当事者運動を学ぶ。 帰国後の1986年、東京都八王子市のヒューマンケア協会の設立に参加。ヒューマンケア協会は日本の自立生活運動の草分けの団体である。同年にはDPI女性障害者ネットワークの立ち上げにも参加した。1989年、東京都町田市で自立生活センターの町田ヒューマンネットワークの創設に加わり、1991年、全国自立生活センター協議会(JIL)の立ち上げに参加して副代表に就任した。 1994年、町田市議会議員になる(無所属)。町田市初の女性の障害者議員となり、1期務めた。1995年には全国自立生活センター協議会の代表に就任。 2001年には民主党から第19回参議院議員通常選挙の全国比例区へ立候補するも落選する。同年、厚生労働省設置の「障害者ケアマネジメント体制整備検討委員会」の委員として活動した。 2007年、都知事選に挑戦した浅野史郎、参議院選に挑戦した金政玉の支援活動を行う。同年、安芸市に転居。 2011年、安芸市でNPO法人障害者自立生活センター「土佐の太平洋高気圧」を近藤と共に設立して理事長に。ヘルパー事業所「ヒューマンケア・安芸」も設立した。現在も安芸市に在住している[1]。 2023年9月15日、死去。享年72。現代書館が報じた[2]。 なお、評論家の樋口恵子とは同姓同名の別人。 著書
脚注注釈
出典参考文献外部リンク |
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