樽見鉄道ハイモ230-300形気動車
樽見鉄道ハイモ230-300形気動車 (たるみてつどうハイモ230-300がたきどうしゃ)は、1985年(昭和60年)・1987年(昭和62年)に各1両が製造された[10][11]樽見鉄道の気動車である[3]。本項では1988年(昭和63年)・1992年(平成4年)に各1両が製造された増備車で扉構造が異なる樽見鉄道ハイモ230-310形気動車(たるみてつどうハイモ230-310がたきどうしゃ)[12][13]についても併せて記載する。 概要1984年(昭和59年)10月に日本国有鉄道樽見線を第三セクターに転換して開業した樽見鉄道[14]が、増発、延伸などの車両需要増に対応して1985年(昭和60年)から1992年(平成4年)にかけて4両を製造した気動車である[15][2]。形式名「ハイモ」は「ハイスピードモーターカー」の略、230は馬力表示の機関出力を意味している[16]。開業時に投入したハイモ180-100形・ハイモ180-200形では、保守、運用の経済性を重視し、地方交通線用としてバスの部品を多用して富士重工業が開発したLE-Car IIの標準寸法を採用した[14]が、ハイモ230-300形では車体長、幅が拡大され、ボギー車となった[17]。引き続き車体にはバス用の部品が多用されている[17]。エンジンはハイモ180-100形・200形のPE6Hをターボチャージャー付きとして出力を向上したPE6HT03が採用された[18]。4両とも正面貫通式、両運転台、トイレなし、ロングシート [19][3]で、最初の1両は客用扉が折り戸、2両目以降は引き戸となり、ハイモ230-310形に形式が区分された[20]。2両目はハイモ230-302として落成し、ハイモ230-313登場時にハイモ230-312に改番されている[21]。 ハイモ295-610形、ハイモ330-700形に置き換えられ、ハイモ230-301が2009年(平成21年)、ハイモ230-312が2011年(平成23年)、ハイモ230-314が2015年(平成27年)に廃車された[4][22][23]。ハイモ230-312は廃車後ミャンマーに輸出、ハイモ230-314はJR貨物北陸ロジスティクスに譲渡された[22][23]。 車体富士重工業製のレールバスLE-Car IIとして15 m級の車体を初めて採用、台車もボギー式となった[17]。LE-Carシリーズではバス用構体を流用したため全幅が2,440 mmとなっていたが、ハイモ230-300形では2台分の垂木を接合することで2,700 mmとなり、以降のLE-Carシリーズの標準寸法となった[17]。前面は貫通式、乗務員室は左側に設けられ、ハイモ230-301には乗務員用扉が設けられた[5]が、それ以外の車両では乗務員扉は省略された[16]。ハイモ230-302以降の車両は前照灯と尾灯が角形となり、一体のケースに入れられている[20]。ハイモ230-301では折り戸の、それ以外の車両では引き戸の客用扉が片側2か所、両車端に設けられた[20][5]。扉間には中央部に下半分が引き違い式、上半分が平面窓固定式の幅1,600 mmの窓6組と運転台がない側の扉寄りに1,060 mmの同構造の窓1組が設けられた[5]。引き戸が採用された車両では扉に隣接する窓は固定式となった[21]。ハイモ230-301、302、313の外部塗装はハイモ180-100形・200形同様ブルーをベースに樽見鉄道の頭文字であるTを図案化した赤と白のストライプが窓下に描かれたもの[14][3]で、ハイモ230-312は池田満寿夫がデザインしたものとなった[21]。 車内は全席ロングシートである[21]。 走行装置![]() 写真は信楽高原鐵道SKR310形のもの エンジンは、ハイモ180-100形・200形用のものにターボチャージャーを搭載して出力を向上した日産ディーゼル製PE6HT03ディーゼルエンジン(定格出力169 kW / 1,900 rpm)を1基搭載[18]、動力は神鋼造機製SCAR0.91B液体変速機を介して2軸駆動の台車に伝達される[17][6]。台車は上枕空気ばね、軸ばね式FU34D/Tが採用された[6][7]。制動装置はSME三管式直通ブレーキが採用された[6]。 空調装置暖房装置はエンジン排熱を利用した温風式である。冷房装置はバス用のものを流用した能力25.6 kW(22,000 kcal/h)のICPU-023が設置された[16]。 車歴
運用![]() 樽見鉄道開業1周年の1985年(昭和60年)10月6日から運転を開始した[3]。LE-Car IIの標準寸法を採用したハイモ180-100形・200形に対し、全長、全幅とも拡大され、当初は混雑時の列車を中心に運用された[17][21]。LE-Car IIシリーズとして初めて15 m級の全長、2,700 mmの車体幅、FU34系ボギー台車を採用し、以降の他社車両でも標準的な寸法、仕様となった[17]。当初は樽見線大垣駅 – 神海駅間で運用されたが、路線延伸に伴って運用範囲も拡大されている[31]。1987年(昭和62年)には扉構造を変更した1両が増備され、1989年(平成元年)の神海駅 - 樽見駅間延伸開業に備えてさらに同構造の1両が追加されたが、この時から形式がハイモ230-310形に変更され、1987年(昭和62年)製の1両についても改番されている[11][12]。1992年(平成4年)には最終製造となる1両が追加されたが、外部塗装が池田満寿夫デザインによるものに変更されている[13][21]。301は2004年(平成16年)から窓下に沿線の子供の絵画を貼り付けて運転、312は1995年(平成7年)10月に池田満寿夫デザインの外装となった[32][33]後、2007年(平成19年)から本巣市のPR塗装、313は旧根尾村の広告塗装、314は2006年(平成18年)からモレラ岐阜の広告塗装となった[21][9]。新造車両に代替され、2009年(平成21年)から廃車が始まり[4]、ハイモ295-617の就役によりハイモ230-301は2009年(平成21年)度中に廃車されるべきところ、補助金の規定により特別許可の上1か月延長して運転され、2009年(平成21年)4月に廃車された[34]。ハイモ230-312は2011年3月に廃車後ミャンマーに輸出[22]され、ハイモ230-313は2018年11月に廃車となり、形式消滅した。 ハイモ230-314は2015年12月に廃車後、JR貨物 北陸ロジスティクスに譲渡され[23]販売されている。価格は税抜50万円(運送代は別)。[35] 出典
参考文献書籍
雑誌記事
Web資料
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