気まぐれ美術館
『気まぐれ美術館』(きまぐれびじゅつかん)は、美術評論家で小説家でもあった洲之内徹が、新潮社の月刊誌「藝術新潮」に長期連載した美術エッセイ。単行本5冊が出版されている。 作品誕生の経緯とその概要洲之内徹は、東京美術学校建築科に在学中に、プロレタリア運動に参加したため、検挙され収監されたが、転向し釈放。第2次世界大戦勃発後は中国大陸に渡り、諜報活動に従事していた。1946年(昭和21年)の復員引揚後は、古本店を営みながら小説を書きはじめ、1958年(昭和33年)に、友人の小説家、田村泰次郎の経営する画廊「現代画廊」に入社。支配人として働きながら小説を執筆。芥川賞に何度か推されたが受賞には至らなかった。1960年(昭和35年)9月、田村が画廊経営から手を引いたのを機に、洲之内が経営を引き継ぎ小説家として作品を発表しながら画廊経営を続けた。 1973年(昭和48年)に、美術に関する初めての書き下ろしエッセイ集『絵のなかの散歩』を上梓、翌1974年から月刊誌「藝術新潮」にエッセイを連載することになった。連載にあたって、洲之内はメイン・タイトルをどうするかいろいろ悩み、『絵で考える』、『本日休館』、『絵のない美術館』、『画廊の灰皿』、『芸林彷徨』、『芸林無宿』などの候補が挙がったが、結局『気まぐれ美術館』に決定し、同年の新年号から連載を開始した。自身が収集した美術品にまつわる話題を中心にしたこのエッセイは好評で、洲之内は執筆の軸足を小説からエッセイに移し、以後は画商とエッセイストとして活動した。連載は、洲之内が急逝する1987年(昭和62年)秋まで通算165回を数えた。 出版形式『気まぐれ美術館』の連載全165回分は、1974年の連載開始後、新潮社で順次単行本化し、『気まぐれ美術館』(1978年)、『帰りたい風景』(1980年)、『セザンヌの塗り残し』(1983年)、『人魚を見た人』(1985年)、『さらば気まぐれ美術館』(1988年)の5冊が刊行している。 また連載開始の前年に刊行した美術随想集『絵のなかの散歩』は、今日では『気まぐれ美術館』と同列の作品と見なされ、同じ装丁で文庫化もされた。 なお紹介記事『芸術新潮 特集―洲之内徹 絵のある一生』(1994年11月号)を改訂、図版本『洲之内徹 絵のある一生』新潮社〈とんぼの本〉が刊行されている(2007年10月)。 作品タイトル単行本ごとに個々の記事を記載。配列番号は誌上発表順で、表記は原本に拠る。 気まぐれ美術館
帰りたい風景
セザンヌの塗り残し
人魚を見た人
さらば気まぐれ美術館
刊行書誌 |
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