汝平和を欲さば、戦への備えをせよ

汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」(なんじへいわをほっさば、いくさへのそなえをせよ)はラテン語の格言。原文は "Sī vīs pācem, parā bellum."(シー・ウィース・パーケム、パラー・ベルム)

様々に解釈されているが、一般に「平和を望むなら戦争に備えておかねばならない」と軍備の必要性を訴えるさいにしばしば使われてきた[1]。英語では通常 "If you want peace, prepare for war." などと訳される[2]。ラテン語の格言としてはきわめてよく知られたもののひとつで、現在でも欧米のメディアで一般的に使われている[3][4][5]。後段を「パラ・ベラム」等とするのは英語の読み方。

概要

この言葉の出典は、古代ローマ帝国末期(4世紀頃)の軍学家ウェゲティウス(Flavius Vegetius Renatus)が著した『軍事論Epitōma reī mīlitāris)』 とされることが多い[6][7]。ただしウェゲティウスの原文は以下のように多少表現が異なっているうえ[8]、また彼以外に古代ローマ世界での用例がないため、この著作を元にした近代の創作だとする説もある[9]

したがって、平和を望む者は戦争を準備せよ;勝利を欲する者は兵士を念入りに訓練せよ;順調な結果を願う者は偶然ではなく技によって戦え。(『軍事論』第三巻の1)(Igitur quī dēsīderat pācem, praeparēt bellum; quī uictōriam cupit, mīlitēs inbuat dīligenter; quī secundōs optat ēuentūs, dīmicet arte, nōn cāsū.)Liber III [10][11]

受容と批判

フランス軍の士官学校(CDEC)で使われている徽章。本項目の格言が刻まれている。

この格言が引用されるのは多くの場合、軍備の裏づけなしに平和を維持することはできないと主張する文脈においてである[9]。フランスの社会学者ガストン・ブトゥールはこの格言を「平和を欲するなら、戦争を知らねばならぬ」という意味で読み替えるよう説き、その有効性を認めていた[12]

日本で1950年代に参議院議員をつとめた実業家の鹿島守之助もこの格言を愛好し、自著『日本の平和と安全』において、戦後日本の平和憲法を批判しながら次のように述べている。

ローマの昔から Si vis pacem, para bellum(平和を欲するならば、戦いに備えよ)との格言があるように、なんらの軍備も持たずに、ただ平和、平和と口先だけの題目をとなえるのは、決して平和を保持するゆえんではない。[13]

また新憲法の「八月革命説」で知られた憲法学者の宮澤俊義は、戦後すぐの1947年に刊行された著作の中で、この格言が説くような〈武装によって維持されている平和〉は真の平和ではなく、それはつねに一触即発のリスクと表裏一体であることを前提として認めたうえで、次のように述べている[14]

(しかし)歴史上、現実に可能となった平和は「ローマの平和(パックス・ロマーナ)」から国際連盟時代に至るまで、すべて多かれ少なかれ武装せられた平和であった。それはあるいは真の平和と呼ばるべきものではないかも知れない。しかし、人間はいままで実際にこれ以外の平和をもった経験がないのである。

宮澤はそのように述べ、この格言は第二次大戦後の「今日の国際社会においても依然として妥当する」と主張した。

一方で、この格言に対しては、宮澤が触れているような根強い批判が存在する。

1928年のパリ不戦条約において各国全権代表が署名するため用意された万年筆には、「もし平和を欲するならば、平和のために備えよ(Sī vīs pācem, parā pācem.)」と刻印されていたという。キリスト教非戦主義の立場に立つレイトン・リチャードは、この逸話を紹介したうえで、ウェゲティウスのものとされる古い格言は「今や流行遅れ」であって、「二度の世界大戦の経験は、もし諸国家がその平和の夢を実現しようとするならば、彼らは戦争以外の、そしてもっとすぐれた道をとらねばならないことを教えた」と述べている[15]

トマス・アクィナス神学大全』の研究などで知られた稲垣良典が書く次の一節も、同様の批判にもとづいている[16]

平和は彼方にあるのではなく、平和はすでにいま、ここにあるのでなければならない。「汝もし平和を欲するなら、戦争に備えよ」ではなく、「汝もし平和を欲するなら、平和を実践せよ」でなければならない。

1969年、国際労働機関(ILO)がノーベル平和賞を受賞したさい、当時のノーベル賞委員会のアーセ・リオネス委員長は、ILOの基本理念が 「Sī vīs pācem, cole jūstitiam.(平和を欲するなら、正義を尊重せよ)」であると述べて高く評価し[17]、古い形の格言を暗に批判している。この言葉はジュネーブのILO本部で基本モットーとして掲げられ、現在広く知られるに至っている[18]

また戦後に文部大臣をつとめた森戸辰男は、戦前に自らの反戦思想を訴えるため、ラテン語で「Sī vīs pācem, parā bellum contra bellum.(平和を欲するなら、戦に対して闘争せよ)と述べていたことがあるという[19]

類似表現

中国の『易経』に現れる次の一句も、同様の思想を表現した言葉として紹介されることがある[20]

治而不忘乱(治に居て乱を忘れず/治まりて乱るるを忘れず=平和の中にあっても戦乱・危機を忘れてはならない)

ナポレオン・ボナパルト外交政策に関して、歴史家ブーリエンヌは次のように述べている[21]

もしボナパルトがラテン語に詳しければ、おそらく格言を逆さにして……Si vis bellum para pacem. (戦を欲するなら、平和への備えをせよ)と言っただろう。
1901年に開発された9 mmパラベラム弾ドイツの兵器企業DWMが、本項目の格言を会社のモットーとしていたことによる。 

これはナポレオンが第一協商によってヨーロッパ諸国と暫定的な平和協定を結んで見せたのは、いずれイタリアへ先制攻撃をかけるための見せかけにすぎなかったとするブーリエンヌの解釈に基づいている[21]

またアンドリュー・カーネギーは、議長を務めた1907年の 全国仲裁平和会議 で以下のように述べている。

これら陸海の巨大な軍備は、戦争を行う手段ではなく、戦争を防ぐ手段なのだと言われている……しかしもっと安全な道もある……必要なのは各国政府の同意と善意だけだ。昨今は、平和を望むなら軍備を、と言われる。この議会は、民衆に代わってこう言う、Si vis pacem, para pactum、平和を望むなら、協定に賛同せよ、と[22]

ドイツの平和主義作家、リヒャルト・グレリング英語版は、ウッドロウ・ウィルソンが1917年4月2日の議会開会前に際して行った「世界は民主主義にとって安全でなければならない」演説を引用し、以下のように著した。

他のあらゆる手段が失敗したとき...世界の軍事的圧制からの解放は、極端な場合だが、戦争に因ってのみ生じ得る。…(古い格言に)代わって、近い響きを持つ原則が必要になるかもしれない。Si vis pacem, fac bellum(汝平和を欲するなら、戦をせよ)。[23]

そのほか

  • パラベラム - 曖昧さ回避ページ。
  • アメリカ空軍第34戦闘訓練部隊 - 記章の上部にこの格言が記載されている。[24]
  • 9x19mmパラベラム弾 - 拳銃・機関銃など小火器用に広く使われている弾薬。この格言にちなんで命名された。
  • ジョン・ウィック:パラベラム』(2019)- アメリカのアクション映画。この格言を踏まえた題名で、劇中でも格言が引用される。

関連文献

出典

  1. ^ “Britain’s defence policy rests on unity in an increasingly divided world” (英語). The Guardian. (2024年7月21日). ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/politics/article/2024/jul/21/britains-defence-policy-rests-on-unity-in-an-increasingly-divided-world 2025年8月3日閲覧。 
  2. ^ Definition of SI VIS PACEM, PARA BELLUM” (英語). www.merriam-webster.com. 2025年8月3日閲覧。
  3. ^ “Opinion | Lessons From World War II to Avoid World War III” (英語). (2025年5月8日). https://www.nytimes.com/2025/05/08/opinion/world-war-2-europe-peace.html 2025年8月3日閲覧。 
  4. ^ “LE SOUVERAIN PONTIFE CONDAMNE les guerres d'agression et indique les caractères de la " volonté chrétienne de paix "” (フランス語). (1948年12月27日). https://www.lemonde.fr/archives/article/1948/12/27/le-souverain-pontife-condamne-les-guerres-d-agression-et-indique-les-caracteres-de-la-volonte-chretienne-de-paix_1903926_1819218.html 2025年8月3日閲覧。 
  5. ^ O'Brien, Robert C. "The Return of Peace Through Strength: Making the Case for Trump’s Foreign Policy," Foreign Affairs, July/August, 2024.
  6. ^ Vegetius”. Oxford References. 2025年8月1日閲覧。
  7. ^ 英訳題:Epitome of Military Affairs、直訳の邦題は『軍事概要』『兵法概説』など。
  8. ^ この原文の英訳は、"Therefore, he who desires peace, let him prepare for war." (Vegetius: Epitome of Military Science, 2nd rev. ed., tr. by N. P Milner, Liverpool University Press, 1996, p. 63.)
  9. ^ a b Opitz, Peter J., "Collective Security,"  A Concise Encyclopedia of the United Nations, Brill, 2010.
  10. ^ Vegetius Liber III-1.”. www.thelatinlibrary.com. 2025年8月4日閲覧。
  11. ^ Flavi Vegeti Renati, Epitoma rei militaris, notes by M. D. Reeve, Oxford University Press, 2004, p. 65
  12. ^ Gaston Bouthoul, Traité de polemologie, Paris, 1970, 3-4.
  13. ^ 『鹿島守之助外交論選集』2 (日本の安全保障),鹿島研究所出版会,1972, p. 182
  14. ^ 宮沢俊義 『東と西』(春秋社松柏館,1943)
  15. ^ レイトン・リチャード『キリスト教非戦平和主義』(新教出版社、1952)
  16. ^ 稲垣良典『平和の哲学』(第三文明社、1973)
  17. ^ International Labour Organization – Facts” (英語). NobelPrize.org. 2025年8月3日閲覧。
  18. ^ 道徳を行動に化してノーベル平和賞受賞 | International Labour Organization”. www.ilo.org (2018年11月29日). 2025年8月3日閲覧。
  19. ^ 『都留重人著作集 第10巻:学問と社会と論壇』(講談社、1976)
  20. ^ 周易集説 (四庫全書本)/卷33 - 维基文库,自由的图书馆” (中国語). zh.wikisource.org. 2025年8月3日閲覧。
  21. ^ a b De Bourrienne, Louis Antoine Fauvelet (1895). Phipps, R.W. (ed.). Memoirs of Napoleon Bonaparte: New and Revised Edition: with Numerous Illustrations: Vol I. New York: Charles Scribner's Sons.
  22. ^ Bertholdt,p.333
  23. ^ Grelling, p. 208.
  24. ^ Home page for the 34th Combat Training Squadron”. www.littlerock.af.mil. 2022年3月28日閲覧。
  • Bartholdt, Richard (1907). "The Interparliamentary Plan". In Ely, Robert Erskine (ed.). Proceedings of the National Arbitration and Peace Congress New York, April 14th to 17th, 1907. New York: The National Arbitration and Peace Congress.
  • Grelling, Richard (1918). The Crime. Gray, Sir Alexander (trans.). New York: George H. Doran Company.

関連項目

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