浅田晃彦浅田 晃彦(あさだ てるひこ、1915年〈大正4年〉8月11日[1][2] - 1996年〈平成8年〉7月31日)は、日本の小説家、医師。群馬県勢多郡富士見村(現・前橋市)出身。 経歴祖父・浅田長太郎は平藩の足軽の家の出で勢多郡新里村山上の浅田民次郎の養子となり、後に初代新里村長となった[3]。 晃彦は勢多郡富士見村に生まれ、利根郡片品村で幼少期を過ごした[1]。1934年(昭和9年)に旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業し[2]、1941年(昭和16年)に慶應義塾大学医学部を卒業[2]。翌1942年(昭和17年)陸軍軍医として入隊[1][2]、ラバウルで勤務し1946年(昭和21年)に復員した[1]。 戦後は前橋で内科小児科を開業し、のちに日本郵船の船医となる[1]。 1949年(昭和24年)に『月刊読売』の記録小説懸賞に入選[1]。1951年(昭和26年)『作家』同人となる[1][4]。1957年(昭和32年)『オレンジの皮』で作家賞を受賞[1]、同年から国鉄の診療医となった[1][2]。1966年(昭和41年)『マラリア戦記』で鉄道ペンクラブ賞受賞[1]。1968年(昭和43年)、江戸時代の和算家(斎藤宜長・剣持章行)をモチーフにした『乾坤独算民』が第60回直木賞候補作となった[1]。1976年(昭和51年)『帝王切開事始』で風雷文学賞受賞[1]。1980年(昭和55年)高橋元吉文化賞受賞[1]。 1971年(昭和46年)に「放参会」を結成し1977年(昭和52年)より同人誌『猿』を発行して後進の指導に努めた[1]。 坂口安吾・南川潤とも交友を持ち、創作面での影響を受けている[1][4]。上毛文学賞選考委員も務めた[1]。囲碁4段[2]。 郷土史研究にも取り組み1982年(昭和57年)に『考証岡上景能』で第7回郷土史研究賞優秀賞を受賞した[1]。 主な作品
脚注
関連人物
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