海南長鼓山古墳
海南長鼓山古墳(ヘナム ちょうこさんこふん/ジャンゴサンゴブン、長鼓峰古墳)は、大韓民国(韓国)全羅南道海南郡北日面方山里にある古墳。形状は長鼓墳(前方後円形墳)。全羅南道記念物第85号に指定されている(指定名称は「해남방산리장고봉고분(海南方山里장고봉古墳)」)[1]。 朝鮮半島南部には長鼓墳10数基が分布し、日本に多く存在する前方後円墳との関連が指摘されるが、本古墳はそのうちの1つになる。 概要朝鮮半島南端、海南郡南東部において海岸から1キロメートルほど入った標高約30メートルの丘陵上に築造された古墳である[2]。朝鮮半島南部の前方後円形墳10数基のうち最南端の古墳であり、かつ76メートルという墳丘長はそれらのうちで最大規模になる[2]。2020-2021年に発掘調査が実施されている。 墳形は前方後円形で、墳丘主軸を南北線として前方部を北方向に、後円部を平野部に向ける[2]。墳丘は日本の前方後円墳に対して比較的急斜して築造される[2]。前方部北方10メートル並びに後円部南側にはそれぞれ平坦面があり、その削平土を盛り土としたと推測されている[2]。現在までに後円部墳頂・前方部墳頂に現代墓、また墳丘東側に道路が設けられた関係でやや変形を受けているが、全体的に墳丘は旧態を良く遺存した状態である[2]。埋葬施設は横穴式石室(現在は非開口)で、石室内側にベンガラ(弁柄)を塗るという倭(日本)系の要素は一部に見られるが、玄室平面形は細長方形でかつ羨道が細長く発達しており、全体的に見ると独特な構造が採用されている[3]。 この海南長鼓山古墳は、5世紀第4四半期-6世紀第1四半期頃の築造と推定される[4]。この時期の古墳としては、日本の同時期の古墳に比しても大規模な部類に相当する[4]。一帯は平野が狭く農業生産力のある地域ではないが、海上交通の要衝であり、被葬者はそうした海上交通を掌握する地位にあったと推測される[5]。また周辺一帯に長鼓山古墳以前の在地系古墳の系譜はなく、突如出現する長鼓山古墳に続く形で龍日里葺石円墳・新月里葺石方墳・外島石棺墓などの倭系要素を持つ古墳群が形成されており、これら古墳群の有機的結合の様子が指摘される[6]。 古墳域は1986年2月7日に全羅南道記念物第85号に指定されている[1]。 遺跡歴墳丘墳丘の規模は次の通り[7]。
墳丘の外形に関しては、黒田大塚古墳(奈良県磯城郡田原本町)との類似が指摘される[5]。 文化財全羅南道記念物現地情報所在地 交通アクセス
周辺
脚注参考文献
関連項目外部リンク
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