清本拓己
清本 拓己(きよもと たくみ、1993年6月7日 - )は、岐阜県関市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 経歴プロ入り前5歳の時に下有知サッカースポーツ少年団でサッカーを始め、中学時代はF.C.フォレスタ関ジュニアユースに所属[2]。関商工高校では入学直後からレギュラーとなり、2年時に岐阜県新人大会で優勝。3年時、岐阜県G1リーグで14試合14得点を挙げ得点王となり、岐阜県ベストイレブンにも選ばれた[3]。 関商工の監督とフェイエノールトの育成責任者であるステンリー・ブラードが親しかったことから、2011年夏にオランダへ渡り、フェイエノールトのアカデミーの練習に参加。コーチのロイ・マカーイらから指導を受け、ドリブル重視だったプレーの幅が広がった[2]。2012年1月に再度練習参加した際、練習試合でゴールを決め評価を高めた[2]。その後SBVエクセルシオールに正式に選手登録。6月、19歳になったところで、プロかアマチュアのチームのどちらかと契約しなければならない年齢となり、フェイエノールトのアマチュアチームと契約してプレーしたが、トップチーム昇格はかなわなかった[2][4][5]。 プロ入り後2013年の地元のFC岐阜トップチームセレクションに合格し、岐阜に入団[6]。2014年7月、Jリーグ・アンダー22選抜に選手登録された[7]。 2016年、大分トリニータへ期限付き移籍。同シーズンはJ3リーグでのプレーとなったが、開幕戦より右SHのポジションでスタメンを獲得し以後シーズンを通してポジションを守り切り計27試合で先発出場。Jリーグ初得点を含む7得点をマークし大分のJ3優勝、J2昇格に貢献した。同年末に開催されたJリーグアウォーズにおいてはMYアウォーズのJ3リーグ部門ベストイレブンに選出された[8]。 2017年、大分に完全移籍。開幕から2節連続で途中交代から出場機会を得ていたが、3月6日に行われたトレーニングマッチにて負傷。右膝前十字靭帯損傷と診断され全治約8か月の大怪我となった[9]。一時は「シーズン終了までに間に合わないのではないか」という思いを持ちながらも[10]諦めずにリハビリを続け、シーズン終了前に怪我を完治させた[11]。監督の片野坂知宏の「リハビリしているところを見てきたし、選手たちもわかっている」という判断の元、最終的には片野坂の独断[10]によりシーズン最終節のホーム・ロアッソ熊本戦で第2節以来のベンチメンバー入り。0-1のビハインドで迎えた後半39分に岸田翔平との交代で259日ぶりに公式戦復帰を果たすと、その1分後に川西翔太のクロスをジャンピングボレーで合わせ、1-1の同点となるゴールを記録[11]。その後後藤優介がPKで勝ち越し弾を決め2-1となり逆転勝利を収め、清本は当試合のマン・オブ・ザ・マッチに選出された。最終的に同年の出場時間数は16分間となったが、同年の1得点あたりの出場時間はリーグ最少であった[12]。 2018年は主に途中出場によりリーグ戦26試合に出場。第8節・京都戦では後半43分に決勝点となるゴールを奪い[13]、ホーム最終戦の第41節・金沢戦ではフリーキックのキッカーを務め鈴木義宜の得点をアシストする[14]などJ1昇格を果たしたチームにおいて活躍を見せたが、シーズン終了後契約満了により大分を退団した[15]。同年12月12日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[16]。 2019年1月、Kリーグ1の江原FCに移籍[17]。同年7月31日に藤枝MYFCへ完全移籍により加入すると発表された[18]。2021年11月30日、契約満了による退団が発表[19]。 同年12月10日には、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[20]。 2022年7月13日、FC大阪への加入が発表された[21]。 FC大阪がJ3に加盟した開幕前の2023年2月に右膝前十字靭帯断裂で全治7ヶ月~8ヶ月の怪我を負った[22]。2023年をもってFC大阪を退団[23]。 2024年 アヴェントゥーラ川口 に所属 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
タイトルクラブ
個人
脚注
関連項目外部リンク
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