瀬戸崎村
瀬戸崎村(せとざきむら)は愛媛県越智郡にあった村である。1955年(昭和30年)に盛口村との2村の合併により上浦村となり、自治体としては消滅した。上浦村は1964年(昭和39年)に町制施行し上浦町となり、さらに平成の市町村合併で今治市と越智郡11か町村の合併[注釈 1]により今治市となり、現在に至っている。 地理瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島を構成する大三島の南東部。現在の今治市の北端にあたる。島内では、北に盛口村、西は大三島中央の400m級の山塊を境に宮浦村、岡山村に接する。東は生口島及び、鼻栗瀬戸をはさんで伯方島と対する。
社会地域・集落大三島内の他の地域は集落が沿岸部に形成されているが、当村はゆるやかな東または南斜面であることもあって、丘陵地帯にも集落が存在している[注釈 2]。 合併前の旧2か村の名をそのまま大字として継承した。合併し上浦村、上浦町になっても継承された。
なお、現在、今治市になってからの地名表記は「上浦町」に旧の大字を続ける。大字は省く。
小集落としては、下坂、出走、瀬戸、宮ノ下、大原、口狭、水場がある。 行政役場は当初瀬戸に、後に大字甘崎に移った。 学校
歴史下記以外の歴史については大三島及び上浦町の記事を参照のこと。 藩政期には松山藩領。 瀬戸村は近藤家、甘崎村は越智家が代々庄屋を務めた。 沿革
瀬戸崎村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 瀬戸 ━━━┓ ┣━━━瀬戸崎村━━━━┓昭和30年3月30日 昭和39年4月1日 甘崎 ━━━┛ ┃ 合体 町制施行 井口 ━━━┓ ┣━上浦村━━━━━上浦町━━┓ ┣━━━盛口村━━━━━┛ ┃ 盛 ━━━┛ ┃ ┃平成17年1月16日 ┃新設合併、新・今治市発足 今治市━━━━╋━━今治市 朝倉村━━━━┫ 玉川町━━━━┫ 波方町━━━━┫ 大西町━━━━┫ 菊間町━━━━┫ 吉海村━━━━┫ 宮窪町━━━━┫ 伯方町━━━━┫ 大三島町━━━┫ 関前村━━━━┛ (注記)今治市以下の市町村の合併以前の系譜はそれぞれの市・町・村の記事を参照のこと。 産業米、麦、ミカン、除虫菊などを産した。瀬戸内特有の寡雨な気候で、河川も小規模であるなど水利に恵まれない地域であるため、適地適作物として柑橘栽培が導入された。明治時代末に三原方面からミカン栽培が、大正初期に除虫菊が、その後たばこ草栽培が導入された。やがて、ミカン栽培が当村のほとんどの農家が手がける基幹作物となり、上浦村・上浦町となってからの昭和30年代から40年代にかけて水田からの転換も盛んに行なわれるなど、ピークに達した。 交通大三島または上浦町の記事を参照のこと。
名所脚注注釈出典参考文献
関連項目外部リンク
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