烏賀陽弘道
烏賀陽 弘道(うがや ひろみち、1963年1月8日 - )は、日本のフリー記者、写真家、著作家[1]。 40歳で早期退職した元朝日新聞記者。 経歴京都市生まれ。幼稚園前までは大阪市阿倍野区で育つ[2]。父は著述家・烏賀陽正弘。曽祖父は京都大学名誉教授の烏賀陽然良。1981年同志社高等学校卒業。1986年、京都大学経済学部卒業、朝日新聞社入社。 入社後は、三重県津支局、愛知県岡崎支局、名古屋本社社会部で事件記者を5年経験した。1989年の岡崎支局の時は、東京本社のリクルート事件取材班のメンバーに選ばれ、3カ月ほど東京で取材した[3]。1991年から2001年まで東京本社で週刊誌『AERA』編集部で記者を務めた。『AERA』では音楽・文化を担当した。 2001年3月、パソコン入門誌『ぱそ』編集部へ異動した。2001年11月、出版企画室へ異動。体調を崩し1年ほど自宅療養[4]。 2003年5月、40歳で「早期定年退職」制度を使って退社。その後はフリーランスで活動している。1986年の朝日新聞社入社以来ずっとペン記者であったが、2011年の福島第一原子力発電所事故以後はカメラ記者としても活動するようになっている[2]。 略歴
その後はフリーのジャーナリスト、評論家として生活。
エピソードフリー以後
主な出来事オリコン・烏賀陽裁判インフォバーンが発行する月刊誌『サイゾー』2006年4月号に掲載された記事をめぐり、オリコン株式会社と烏賀陽との間で争われた。 →詳細は「オリコン・烏賀陽裁判」を参照
発言2023年8月、福島第一原発事故の処理水海洋放出が行われた際、原発にあるデブリを「未知の核物質」と自身が呼んだという嘘をネット上に流されたとしたが[9]、ツイッター凍結前ではデブリを「まったく成分すらわからない未知の核物質」としていた[10][11]。本人は「典型的なスミア・キャンペーン」だとしている[12]。 2023年9月、世界標準で言えば、日本人大衆の大半は「倫理や道徳、知性、思考と言った人間を人間たらしめているもの」を喪失した、ニンゲンの形をした何か別の動物にすぎません。(2023年9月20日ツイート) 著書単著
共著
脚注
外部リンク
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