狩野泰光

 
狩野 泰光
時代 戦国時代
生誕 不明
改名 一庵宗円
別名 大膳亮、飛騨守
主君 北条氏康氏政氏照
氏族 狩野氏
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狩野 泰光(かのう やすみつ)は戦国時代の武将。後北条氏家臣。北条氏康の代から仕えたとされ、史料等によってはその1字を与えられたとみられる「康光」(読み同じ)の表記もみられる[要出典]

生涯

狩野介と同じ一族のうち、北条家当主に近侍する系統の出身と思われる[1]

浩治元年(1555年)に史料から確認されており、この時期に石巻家貞と共に評定衆を務めており、北条家の評定衆は御馬廻衆のうちで家老となった者から選出されるため、泰光もその立場にあったと思われる[1]

北条氏所領役帳』には御馬廻衆として513貫430文の知行高が記されている。

永禄11年(1568年)2月までは評定衆としての活動が確認されるが、永禄12年11月までの間に出家して一庵宗円を名乗り、北条氏照の家老へと転身した[2]。また、泰光は氏照の奉行人である狩野一庵宗円と同一人物であることが明らかとなっている[3]

宗円は泰光が記録から見られなくなる永禄11年の翌12年11月から氏照の奉行人としての活動が確認でき、天正18年(1590年)の小田原征伐の際に八王子城で自害している。

脚注

  1. ^ a b 黒田 2021, pp. 78–80.
  2. ^ 黒田 2021, pp. 200–203, 226–230.
  3. ^ 佐藤 1988.

参考文献

  • 佐藤, 博信「狩野一庵宗円のこと」『戦国史研究』15号、1988年。 
  • 『真説戦国北条五代 早雲と一族、百年の興亡』学習研究社〈歴史群像シリーズ14〉、1989年。ISBN 405105151X 
  • 黒田基樹『戦国関東覇権史 北条氏康の家臣団』KADOKAWA角川ソフィア文庫〉、2021年。ISBN 978-4-04-400668-6 
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