町立南伊勢病院(ちょうりつみなみいせびょういん)は三重県度会郡南伊勢町にある町立の医療機関。診療、予防、在宅支援、救急、災害対応、地域医療教育の6つの機能を基本とする小規模多機能型病院である[3]。基本理念は「地域の皆さまに信頼される、あたたかみのある医療サービスを目指します」。
概要
2019年(令和元年)11月8日に移転し、外来診療を開始した[4]。
- 所在地:三重県度会郡南伊勢町船越2545番地[1]
- 病床数:一般病床50床[1]
- 構造:鉄骨免震構造3階建[4]
- 延床面積:約3,900 m2[4]
- 総工費:約19億410万円[4]
なお、へき地医療拠点病院とはなっていないが、医師不足で休診中となっていた古和浦地区の「古和浦へき地診療所」に対して当院の医師が隔週で巡回診療を実施している[5]。
診療科目
南伊勢町病院事業の設置等に関する条例(令和元年10月1日条例第24号)では以下の7つである[1]。
- 過去に存在した診療科目
歴史
民間病院として1938年(昭和13年)9月16日に開設された。戦後しばらくは五ヶ所湾沿岸の町村の拠点病院として順調な経営をしていたが、より充実した医療機関のある伊勢市への交通の便が良くなったため患者が減少し、1967年(昭和42年)1月1日に南勢町へ移管された。
南勢町は病院を改築し、X線診断装置や胃カメラなど当時としては最新鋭の設備を導入し、施設充実を行って経営を好転させた。しかし、大阪大学医学部から受けていた医師の派遣が途絶え医師不足が問題化し、再び経営難に陥った。その後町有林を売却するなどして赤字を埋め合わせたが根本的な解決を見なかった。
1982年(昭和57年)からは三重県の指導を受け自治医科大学の卒業生を医師として迎えるようになる。平成以降は1993年(平成5年)の整形外科開設を皮切りに施設の利便性が図られ、2005年(平成17年)10月1日の南伊勢町発足に伴い現在の名称「町立南伊勢病院」に改称、現在に至る。
年表
旧病院
旧病院(2009年3月)
分院・診療所
かつては以下の診療所を分院としていたが、現在はいずれも廃止されている。
- 宿浦診療所
- 1949年(昭和24年)2月1日に本院が経営移管された際に分院として設置。本院の大学からの派遣医師不足に伴い委託診療が続いた。
- 相賀診療所
- 相賀浦区立の診療所として開設。1953年(昭和28年)に分院となり、1963年(昭和38年)に町立に移管。1982年(昭和57年)には近隣地区でも巡回治療が実施された。
交通
関連項目
参考文献
- 伊勢新聞社『伊勢年鑑 昭和16年版』(昭和15年発行)
- 伊勢新聞社『伊勢年鑑 昭和23年版』(昭和23年発行)
- 「"重体"にあえぐ町立病院 南勢町 立派な施設に医師一人 増員のメドなし ついに診察まで制限」伊勢新聞 1974年4月4日付 7面
- 南勢町誌編さん委員会『南勢町誌』三重県度会郡南勢町、昭和60年12月25日第2刷発行
- 南勢・南島合併協議会(2004)"協議第20号 病院・診療所の取り扱いについて"平成16年5月27日(2010年12月22日閲覧。)
- 三重県農協創立20周年記念事業委員会『三重県農協二十年史』(昭和45年7月31日発行、発行:三重県農業協同組合連合会ほか)
脚注
- 出典
- 注釈
- ^ 『南勢町誌』697ページの「図7-1」によると昭和43年(1968年)から昭和55年(1980年)の統計までは産婦人科の患者数が記載されているが昭和57年(1982年)の統計にはない。
- ^ 『南勢町誌』での記述。『伊勢年鑑 昭和23年版』職員録26ページでは「三重県農業会」の所管となっている。『三重県農協二十年史』687ページの年表によると三重県厚生連の前身である「三重県文化厚生農業協同組合連合会」の発足は1948年(昭和23年)8月となっている。
- ^ 『南勢町誌』での記述。『三重県農協二十年史』687ページの年表には「1948年(昭和23年)10月 大安病院 五ヶ所文厚連とし 県文化厚生連より独立」と記述されている。
- ^ 2階に設置
- ^ 3階に設置
外部リンク
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