短期騎手免許短期騎手免許(たんききしゅめんきょ)とは騎手免許のひとつである。騎手がみずからが所属しない競馬施行体が主催する競馬の競走に騎乗するために取得する、短期間(1か月単位)の有効期間をもつ騎手免許のこと。 この項目では、短期騎手免許とは呼ばれないが、実質的に短期騎手免許と同等となっている「該当競走限定の騎手免許」、地方競馬の期間限定騎乗についても取り上げる。 日本の短期騎手免許概要日本国外の競馬に所属している騎手が競走馬や招待に関係なく日本に来て騎乗する場合、JRA(日本中央競馬会)とNAR(地方競馬全国協会)は、通常の騎手免許試験とは別に臨時に試験を行い、試験に合格したものに短期騎手免許を1か月単位で1年間にそれぞれ最大3か月交付する。中央競馬では内規により同時期に5人までの騎手に発行している。 この制度は1994年にスタート[注釈 1]し、中央競馬ではニュージーランドの女性騎手であるリサ・クロップ(その後、同じくニュージーランドの女性騎手であるリサ・マンビー(現名義:リサ・オールプレス)[1]も2002年に本制度を利用)が、地方競馬では当時ニュージーランドで活動していた日本人の道川満彦(元益田競馬所属)が[2]、それぞれ第1号となった。 その後はオリビエ・ペリエ(フランス)やミルコ・デムーロ(イタリア)など自国でもトップを張っている一流騎手も日本に来て騎乗するようになった。ペリエは有馬記念を3連覇、デムーロは外国人騎手として初めて日本ダービーを制覇するなど、日本でも活躍している。とくにデムーロは短期騎手免許制度の一部を変えるような活躍を見せた。ネオユニヴァースに騎乗し皐月賞・日本ダービーと牡馬の二冠を達成したデムーロは、この時点で短期騎手免許の有効期限である3か月を使い切っており、三冠目の菊花賞には騎乗できないことになっていた。しかしJRAはこの活躍を認め「1年の間に同じ馬でGI競走2勝以上を挙げ、年内に同じ馬でGIへ出走する当日に限り騎乗が可能」という、事実上デムーロによる三冠挑戦のための制度を新たに設けた。そしてデムーロは晴れて菊花賞に騎乗することが可能となった(結果は3着)。現在に至るまで、このルールで再来日できたのはデムーロの他にはダミアン・レーンのみである(2019年、リスグラシューで宝塚記念とコックスプレートを勝利の後有馬記念で再来日)。また、ペリエはシンボリクリスエス・ゼンノロブロイと騎乗した馬を3年連続で年度代表馬に導いている。 前述の道川のほかにも、日本国外で騎手免許を取得した在外日本人騎手が本制度を利用したことがあり、NARでは2002年に吉田賢司(オーストラリア拠点)がホッカイドウ競馬、高崎競馬、宇都宮競馬で騎乗、2003年には富沢希(オーストラリア拠点)が大井競馬で騎乗した。一方でJRAでは在外日本人騎手による短期免許制度の利用実績はまだ存在していない。 短期騎手免許改定の主な記録2016年4月1日より、地方競馬での短期免許制度が以下のように改正された。
2017年1月より、中央競馬での短期免許制度が以下のように改正された[4][5]。
2021年1月より、中央競馬での短期免許制度が以下のように改正された[6]。
2025年1月1日より、中央競馬での短期免許制度が以下の通り改正された[7][8]。
近年は、ヨーロッパを拠点とする騎手が競馬がオフシーズンに入る秋季後半から冬季にかけて、JRAの短期免許申請が相次いでおり、同時期の5人枠を巡って争奪戦に近い状態が続いている。2024年1月は2016年以来8年ぶりに5名[注釈 2]の短期騎手免許が発効されることとなった。 競走限定の騎手免許次のような場合、該当する競走に限った騎手免許を発行する。この場合には、上記の短期騎手免許とは異なり、試験は行われない。なお規則上、これは短期騎手免許とは呼ばれない。これは競走限定免許とも称する。
中央地方間は当日に限り、外国の競馬に所属している騎手の場合にはその週単位で「交流競走特例規程により免許を受けた騎手が騎乗できる競走」(いわゆる□指定競走)に騎乗できる。□指定競走は現在、若手騎手限定競走などの一部の例外を除くすべての競走が指定されているため、実質的に1日もしくは週単位の短期騎手免許が交付されているのと同等である。このように当該交流競走以外の当日または前日の競走に騎乗する事を「エキストラ騎乗」と呼ばれる[10]。
地方競馬の交流競走(他地区の競馬に出走する場合)の場合、地方競馬は基本的に地方競馬全国協会が発行する全国共通の騎手免許のため、短期騎手免許は必要ない。 発給制限本制度を利用して中央競馬に参戦する外国人騎手の中にラフプレーを行う者が目立つようになったことを受け、JRAでは2010年12月に開催した免許試験委員会において「外国人の短期免許騎手で、暦年の免許期間中に騎乗停止2回以上、もしくは制裁点数30点を超過した者には、次年度免許を交付しない」という発給制限を設けることを決め、2011年より運用を開始している(次々年度以降の交付は可能)。この制限のため、2011年はクリストフ・スミヨン(前年度制裁点数30点超過)およびダグラス・ホワイト(前年度騎乗停止2回)の2名が、2023年はクリスチャン・デムーロ(前年度騎乗停止2回)が短期騎手免許を取得できないことになった[12][13]。なお、2023年4月15日から6月13日まで短期騎手免許を取得し騎乗していたダミアン・レーンも免許期間中の制裁点数30点超過となったため、次回の短期免許の発給制限対象となったが、本件に関しては同年に発給制限の期間が一部見直されたことを受け、免許期間終了日の翌日から起算して1年間(2023年6月14日~2024年6月13日)が発給制限の対象期間となっている[14]。 なお、この制限に該当した場合であっても、上述の競走限定免許については取得が可能である[15]。 事例以下では、この項目で説明した「短期騎手免許」を取得して日本のGI,JpnIを勝利したケース、「競走限定の騎手免許」によって該当馬以外に騎乗しGI,JpnIを勝利したケース、およびその2つの混合したケースについて事例を挙げる。 「短期騎手免許」を取得して日本のGI,JpnIを勝利したケース
「競走限定の騎手免許」によって該当馬以外に騎乗して日本のGI,JpnIを勝利したケース
地方競馬の期間限定騎乗多くの地方競馬では原則として騎手は競馬場および厩舎に所属しなければならず、一部の騎手会所属騎手[注釈 3]を除き、中央競馬のようなフリー騎手は存在しないが、とくに積雪などにより冬季開催休止となる北海道、東北、北陸などの地域の騎手、あるいは北関東など廃止された競馬場所属の騎手の活躍の場を提供することを目的として他競馬場での期間限定騎乗騎手が制度化された。2005年に南関東公営競馬で施行が始まった。 日本国外の短期騎手免許
概要日本人騎手が、短期騎手免許制度を持つ香港、マカオ、シンガポール、韓国、ニュージーランド、オーストラリアなどの日本国外の競馬場に遠征するケースが増えている。なかには当地の重賞を優勝するなどの活躍を見せる騎手もいる。2010年に青木芳之がJRA所属騎手として初めて短期騎手免許を取得して韓国で騎乗した。2012年には上野翔も短期騎手免許を利用して韓国で騎乗している。 「短期騎手免許」を取得して日本国外の重賞を勝利したケース
脚注注釈
出典
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