磯部 (つくば市)
磯部(いそべ)は、茨城県つくば市の地名。郵便番号は300-4248。 地理つくば市北西部に位置する。桜川が作る沖積地と筑波台地から成り[3]、前者に安森と磯部、後者に荒谷の集落がある[4]。水田の広がる地域である[4]。 東は田中、西は高野原新田、南は明石(あけし)、北は洞下(ほらげ)・池田と接する。 小字
歴史安森坪にある安森遺跡からは、弥生時代の土器や須恵器、土師器が見つかっている[3]。室町時代の文安元年(1444年)には、光栄という人物が書写した『法華玄義口伝抄』に「磯部」、翌・文安2年(1445年)の『法華文句口伝抄』に「磯部郷」の文字が見られる[3]。また、文禄4年7月16日[3](グレゴリオ暦:1595年8月31日)の『中務大輔当知行目録』に「百九拾四石七斗三升六合 いそへ」とあり、佐竹義久の領地であったことが分かる[5]。 江戸時代には常陸国筑波郡に属し、磯部村(磯辺村とも表記)と称した。初めは佐竹氏領であったが、慶長8年(1603年)から小張藩領 、元和2年(1616年)から天領、寛永2年(1625年)からは旗本・本多氏領と変遷した[3]。村高は寛永2年(1625年)時点で294石余で、年貢米は宗道河岸(現在の下妻市宗道)まで駄送りした[3]。 明治時代の大区小区制下の磯部村は、新治県治下の1872年(明治5年)に第二大区第三小区に、茨城県治下の1875年(明治8年)5月には第十一大区第六小区に組み込まれた[6]。1878年(明治11年)7月に郡区町村編制法が公布されると、磯部村は上菅間村連合村に、1884年(明治17年)には中菅間村連合村に加わった[6]。町村制の施行以降は、所属市町村名を変えながら大字として現在も存続している。 1906年(明治39年)には耕地整理事業認可の申請が茨城県に出され、1907年(明治40年)2月から着工した[7]。これは磯部だけでなく、池田・中菅間・田中まで及び、面積158町、総工費36,125円という菅間村を挙げての大事業で、1912年(明治45年)5月までかかった[8]。これにより、生産力が向上した一方、小作料の増大や村政の運営が不安定になるなどの課題を生んだ[9]。 磯部は田んぼでメダカの生息する、つくば市では数少ない地域であった[10]。しかし、2002年(平成14年)中に水路がコンクリートで固められることになったため、地元の特定非営利活動法人つくば環境フォーラムを中心に、磯部地区の溜め池やつくば市立筑波西中学校に設置されたビオトープでメダカの保護飼育が始まった[10]。 沿革
世帯数と人口2017年(平成29年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
小・中学校の学区
交通
施設
史跡
出身著名人脚注
参考文献
関連項目 |
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