福岡県立筑紫中央高等学校
福岡県立筑紫中央高等学校(ふくおかけんりつちくしちゅうおうこうとうがっこう)は、福岡県大野城市中央二丁目に位置する公立高等学校。 概要1917年に設立された伝統ある学校で、全日制の課程と定時制の課程に、普通科を設置している。 略称は筑中(ちくちゅう)または中央。福岡市内から通学している生徒からは前者、また大野城市など地元筑紫地区から通学している生徒からは後者で呼ばれることが多い。「筑中」は福岡市内の県立福岡中央高校(福中)や筑紫丘高校と区別するため、「中央」は県立筑紫高校、太宰府市内の私立筑紫台高校、筑紫野市内の市立筑紫野中学校と区別するためである。 俳優の武田鉄矢(名誉学位・称号は名誉学士(福岡教育大学)。名誉漢字教育士(立命館大学)。長崎市亀山社中記念館名誉館長[1]。)の出身校としても知られる。武田は創立70周年、創立100周年[2]記念講演会で、同校生徒に講演を行った。 地元の福岡大学や西南学院大学などの私立大学へ多くの合格者を輩出する一方、国公立大学への進学も毎年増加し、平成24年度には過去最多の65名が現役合格した。 令和3年4月現在、全日制では男子474名(40%)、女子705名(60%)、計1179名が在籍している。女子の在籍人数が多く、女子のみで編成されるクラスができる時もあるが、女子の理系離れなどで男子クラスができる事もある。一時期は1学年14学級になるほどのマンモス校であったが、現在[いつ?]は全クラス最大40名の10学級となっている。 沿革年表
教育方針校訓至誠 自立 識見
校歌応援歌
校章太宰府ゆかりの梅香を「中央」の文字で図案化し、その中心に「高」を配置したもの。1949年(昭和24年)9月に校章を生徒より募集し、図画は伊勢幸平が手がけた。 全日制教育課程募集時にはコースは分かれず、1年次は全員共通の教科を履修するが、2年次から各々の進路に合わせて文Iコース(私立文系型)、文IIコース(国立文系型)、理系コースの3コースに分かれる。3年次で理系は私立理系型・国立理系型に分かれる。 60回生(平成17年度入学生)では、試験的に文IIコースを従来の2クラスから4クラスに増やし、3年次でそれを更に文I系、文II系、看護・栄養系学科進学系に分けて生徒の進学先に合ったコース選択をできるようにしている。また61回生では、看護・栄養系を希望する生徒は理系コースを選択することになっており、文I4クラス・文II2クラス・理系3クラスになっている。 進路指導部の目標は「生徒ひとり一人の進路希望を実現させる。」コース選択後の文転・理転は基本的に認められてない。 学校行事平成16年度まで、宰都祭(文化祭)・体育祭・予餞会の三大行事だったが、翌年17年度から予餞会が無くなり、宰都祭・体育祭の二大行事となっている。また、令和3年度より、熱中症対策と3年生の受験勉強の期間を確保する目的から、宰都祭と体育祭が入れ替わった。 年間行事
宰都祭文化祭。宰都とは、かつての九州の都・大宰府からきているとみられる。毎年6月上旬に開催。準備期間が中間考査と重なる。かつて1回だけ10月に開催された年度があるが、その翌年からまた例年通りの6月開催に戻っており、以来ずっと6月開催である。 体育祭赤・青・黄・白・緑・紫の6ブロック制であったが、その後赤・青・黄・白の4ブロック制となり、平成18年度より赤・青・黄の3ブロック制となっていた。令和3年度、新型コロナウイルスによる感染対策により、1ブロックの人数を分散させる目的で、17年ぶりに白ブロックが復活した。 予餞会予餞会とは3年生を送る会のことで、毎年3学期に行われていた。吹奏楽部・ダンス部・演劇部・有志による演技や、予餞会実行委員が、3年生が1、2年だったころに携わりながらも離任してしまった教師にビデオテープを郵送しビデオレターを依頼して、編集したものを上映したりと3年生を励ます数々の工夫を行ってきたが、一般公募の実行委員が毎年ゼロに近いこと(生徒会執行部が事実上の実行委員だった)、大学入試センター試験の日程変更により3年生の入試対策のため予餞会が日程に支障を来すこと、学年末考査と予餞会準備期間が重なり生徒の考査への対策に支障が出ること等の理由により平成17年度より開催を中止している。 生徒会活動・部活動など水泳部は14年連続インターハイ出場。野球部は、1970年に第42回選抜高等学校野球大会に出場したことがある。
定時制各学年1学級、修業年限3年または4年。 通学区全日制は福岡県第五学区に属し、以下の各地域が学区となる。 定時制は福岡県内全域が通学区となる。 通学手段など出身著名人関連項目出典
外部リンク
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