福澤達哉
福澤 達哉(ふくざわ たつや、1986年7月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 来歴京都府京都市出身。兄がやっていた影響で、小学4年生からバレーボールを始める[1]。 中学時代の通知票はオール5のスマートな一面もある。 洛南高等学校を経て、指定校推薦で中央大学法学部法律学科に進学。大学1年の時に日本代表に選出され、2005年ワールドリーグで代表デビューを飾った。 2008年、日本代表に再選出。北京オリンピック世界最終予選を経て、清水邦広と共に最年少で北京オリンピックに出場した。同年パナソニックパンサーズの内定選手となり、2008-2009年Vプレミアリーグの新人賞を獲得した。 2009年、大学卒業後にパナソニックに入団し、黒鷲旗大会で若鷲賞とベスト6を獲得。アジア選手権では2年ぶりの優勝に貢献し、最優秀選手賞を受賞。ワールドグランドチャンピオンズカップ(グラチャン)では、日本男子32年ぶりの銅メダル獲得に貢献し、ベストスパイカー賞を獲得した。 2010年、Vプレミアリーグと黒鷲旗大会のパナソニックの優勝に貢献し、ベスト6に選出された。2012年3月、2011/12プレミアリーグの優勝に大きく貢献し、MVP・ベスト6に輝いた。 2015/16年シーズンは日本を離れ、ブラジルスーパーリーグのマリンガへ移籍することが発表された[2]。2019/20シーズンも日本を離れ、フランスリーグのパリ・バレーに移籍[3]。 2シーズンフランスでプレーし、2021年開催の東京オリンピックに向けて励んできたが、若手の台頭もあり、その最終メンバーから落選した[4][5]。 2021年7月14日、現役引退を発表[6][7]。8月14日にパナソニックの選手が出場する引退ラストマッチが開催され、現役引退となった[8]。引退後は社業に専念の予定[7]。 2022年1月、福澤と同じアウトサイドヒッターで東京オリンピックに出場した若手・大塚達宣(当時早稲田大学3年)がパナソニックに入団し、福澤がつけていた背番号15が引き継がれた[9]。 球歴
受賞歴
所属チーム
脚注
外部リンク
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