秋元ともみ
秋元 ともみ(あきもと ともみ、1967年12月1日 - )は、日本のAV女優・歌手・タレント。 北海道旭川市出身[2][注 1]。ビデオデビュー以前は秋元知美、秋元とも美の表記もあり[4][5]、一部の雑誌プロフィールでは「本名、秋元知美」の記述がある[3]。 経歴北海道旭川市生まれ、東京都小平市を経て、千葉県松戸市で育つ[2][6]。高校在学中の1985年、原宿でスカウトされ、ファッションモデルとして活動する[2]。1986年1月、全日本ビデオソフト協会主催による「ビデオクィーンコンテスト」で審査員特別賞を受賞し[7]、同年4月に宇宙企画より『卒業します』でAVデビュー[8]。宇宙企画との間で当時のAV業界では異例だった専属契約を結び[9]、同時期に専属女優となった麻生澪、早川愛美とともに、同社がAVアイドル路線、いわゆる「宇宙少女」路線へと踏み出すきっかけを作った[8]。 セーラー服3部作デビュー作、2作目『青空に星いっぱい』、3作目『少女神話』の初期3作、通称『セーラー服3部作(卒業3部作)』では、いずれも宇宙少女路線を主導したさいとうまことが監督を務めた。各作品はいずれもさいとうが思い描く『ちょっと悲しげな少女像』(さいとう)の演出に重点が置かれ、当時主流の「本番生撮り」路線とは一線を画したアイドル路線のビデオとして仕上げられた[10]。特に『青空に星いっぱい』では、AVとしては異例の10日間にわたる尾道でのロケによって、大林宣彦の映画に通じる作品性を打ち出すとともに、秋元がビデオの中で主題歌を歌うなど、そのアイドル性が強調された[11]。一方で性行為の描写は最低限に止められ、『青空に星いっぱい』では、成人指定がなされているにもかかわらず、カラミのシーンは完全に排除された。デビュー作と『青空に星いっぱい』はいずれも2万本近い売り上げを記録するヒットとなり、[10]AV誌『オレンジ通信』では小林ひとみらをおさえ、1986年度の読者人気投票で1位を獲得した[12]。AVでの活動と並行してグラビア活動も活発に行い、週刊プレイボーイ、平凡パンチといったメジャー誌の表紙を飾った。 芸能界進出1987年に入ると、所属事務所のトゥーリードや宇宙企画の主導により、芸能界への進出に焦点を合わせた活動を本格的に展開した[13][14]。『オールナイトフジ』のレギュラーを務めたり[9]、映画に出演、6月にはシングル『少女神話』で歌手デビューも果たした。同年秋の学園祭シーズンには多くの大学でステージに立ち、12月にはAV女優としては初めてとなるLP『少女が神話を創る時』も発売された。しかし活発なプロモーション活動にもかかわらず、レコードがヒットチャートにのぼることはなく[注 2]、AV出演が減少したため、1987年後半にはAV誌での人気投票における人気にも翳りが見えるようになった[注 3][注 4]。 活動休止〜復帰〜引退1988年1月、所属事務所のトゥーリードが労働者派遣法、職業安定法違反の容疑で摘発された[9][16]。秋元は賃金を含めた活動の内情をさかんに報道されたばかりか、同年3月のトゥーリードの解散により、芸能界での活動の道筋を断たれることとなった[17]。11月になり、ようやく本格的なカムバック作となるAV『SUSPICION』がリリースされたが、業界の主流がよりハードな本番路線となる中で、以前ほどの話題を呼ぶことはなかった[11]。1989年の復帰2作目『MY HAPPINESS』もソフトな内容に対し冷淡な批評が多く[18]、結局十分な人気回復を果たすことができないまま、同年にはAV業界からも引退した。引退のコメントが収められた『ブルーレディに赤いバラ』には3Pのシーンもあり、秋元としてはハードな内容のビデオとなっている[19]。同作の発売後に、前年に撮影されていた[13]さいとうまこととの再コラボレート作品、『ともみ咲く道』が発売された。 引退後はキャバクラなどで働いた後、介護士の資格を習得[9][20]。 人物好きな食べ物:お寿司、特にアワビ[1]。 趣味:ローラースケート、ディスコ[21]。 作品アダルトビデオ、イメージビデオオリジナル作品
編集もの、BESTもの、DVD ほか
一般映画
テレビドラマ
バラエティ番組CDシングル
_イタリアのポップトリオ:インビシブル(Invisible)の「シックス・ツー・エイト(Six Two Eight)」のカバー。
CDアルバム
カセット
書籍写真集
雑誌
脚注注釈出典
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