穂見諏訪十五所神社
穂見諏訪十五所神社(ほみすわじゅうごしょじんじゃ)は、山梨県北杜市長坂町上条宮久保1461にある神社。旧郷社。本殿、筒粥神事、境内の大ケヤキが市指定文化財となっている[3]。甲斐国志には神社の資産について「御朱印社領四石七斗余社地山林七万六千八百三十坪神主屋敷二千二百七十一坪除地下々田三段二畝廿四歩」との記述がある[4]。 祭神度重なる合祀により多くの神を祀るが、なかでも重要な三柱は次の神があるとみられる。
歴史三明神合祀穂見諏訪十五所神社は複数の神社が統合し、多くの神を祀る。創建は一説によれば貞観6年(864年)と考えられ[5]、延喜13年(913年)完成の延喜式には「甲斐の国に穂見神社あり」と記される式内社と比定される。 文永11年(1274年)に神宮司が併設され、僧竜僧が常住した。真言秘密を行い、日蓮と法問答をしたと伝わる。神仏混淆の流れは6世紀半ばに日本に仏教が伝来して以来のものである。 建治元年(1275年)、穂見神社に、暦占いの五行説に基づいて十五所神社が勧請された。天文3年(1534年)に飢饉があり、疫病が流行した折に、武田信虎の命により筒粥神事が行われた。天文16年(1547年)に造営された神社社殿の棟札に「南無諏訪上下大明神」とあるので、諏訪大明神を勧請したのはその頃であると考えられる。延宝2年(1674年)鳥居建立の折に、三明神列記の石額となり、2021年現在に至るまで社号はないという。 社格変遷大正14年(1925年)3月13日、産土神としての村社から郷社への昇格運動が興り、昭和20年(1945年)に内務大臣の認可を受けたが、その後GHQの占領政策によって神社仏閣の社格は改称されたため、建立した石碑からも「郷社」の二文字は抹消されて昇格は幻となった。平成13年(2001年)には神社庁の運営の都合により、三級社の認定を受けた。氏子総代は「神社名に祭神が羅列され、主体が不明である」と指摘されている。氏子戸数は、450戸。 境内![]() 境内地の面積は848坪で、町道から太鼓橋を渡ると市の天然記念物に指定される大ケヤキに代表される鎮守の森や境内社の秋葉神社、農業用水として活用されてきたため池に囲まれた拝殿が目の前にある。その裏手の山に、江戸中期の再興と考えられている本殿がある[6]。 祭事![]() 筒粥神事天文年間武田信虎により、富士の浅間神社、御嶽の金桜神社、巨摩の穂見諏訪十五所神社に五穀豊凶成否の神占をなさしめたのがはじまりとされる[7]。各地に残る小正月の行事のひとつで、本社においては毎年1月14-15日にかけて行われる。 月並(12項目)、物価(12項目)、田方(9項目)、畑方(21項目)、商業、工業、サービス業(6項目)、災害(9項目)など69項目について、長さを揃えた葦を粥で煮詰め、中に入り込んだ米粒の数で吉凶を占う。占いの結果は、一般参拝者に向けて公開される。 占具の筒となる葦は、かつては神社の御手洗池にある葦を採取して用いた。長さを20センチメートルに揃えた太さ1.2センチメートルの葦を、すだれに編んで、釜に入れる。玄米5合に水3升で炊き、数時間をかけて水2升を追加しながら粥にする。 筒切り係、米粒の数え係、記録係に分かれて呼称して記録する。 その他の年中行事主な祭事は次の通り。
文化財![]() 市指定文化財として、次の3点がある[3]。
現地情報所在地 交通アクセス
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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