第1次ドミートリー・メドヴェージェフ内閣
第1次ドミートリー・メドヴェージェフ内閣(ロシア語: Первое правительство Медведева)は、2012年ロシア大統領選挙の結果を受けて同年5月21日に成立したロシア連邦の内閣である[1]。 2012年3月のロシア大統領選挙では当時の首相で元大統領のウラジーミル・プーチンが勝利した[2]。 5月7日、プーチンは第4代ロシア連邦大統領に就任[3]。就任式に引き続いて、プーチンは前大統領ドミートリー・メドヴェージェフを首相に指名した[4]。 5月8日、ロシア下院はメドヴェージェフの首相指名を承認[5]。続いてプーチン大統領の任命を受けメドヴェージェフが首相に就任した[6][7]。 5月21日、プーチン大統領により閣僚が任命された。新内閣の構成は、2012年5月21日付ロシア連邦大統領令第636号によって発表された[8][9]。 構造改革ロシア極東開発省が新設されたほか、保健・社会開発省が保健省と労働・社会問題省に分離された[10]。 スポーツ・観光・青年政策省はスポーツ省へ改称された。 「開かれた政府」担当相にミハイル・アビゾフが任命された[11]。 前内閣からの留任は半分以下にとどまった[12]。 その後2013年11月、建設住宅省が新設され、初代大臣にはミハイル・メンが就任した[13]。 2014年3月31日、クリミア危機を受け、クリミア問題担当省が新設された[14]。初代大臣にはオレグ・サヴェリエフが任命された[15]。2015年7月1日廃止[16]。 2014年5月、北カフカース問題担当省新設[17]。初代大臣にはレフ・クズネツォフが任命された[18]。 2014年9月8日、地域開発省を廃止。クリミア問題担当省、北カフカース問題担当省、ロシア極東開発省の創設に伴うもの。廃止された地域開発省の機能はロシア経済発展省、財務省、司法省、文化省、建設住宅省へと引き継がれた[19]。 閣僚
脚注
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