第23駆逐戦隊
第23駆逐戦隊(Destroyer Squadron 23)は、カリフォルニア州サンディエゴを拠点とする米国海軍の駆逐艦とフリゲート艦の戦隊である。戦隊は、第二次世界大戦中の行動、特に当時の司令官アーレイ・A・バークの指揮下でのセント・ジョージ岬沖海戦が有名である。2019年現在、第23駆逐戦隊はセオドア・ルーズベルト (USS Theodore Roosevelt,CVN-71) 、ケープ・セント・ジョージ(CG-71 Cape St. George)、および第11空母航空団を含む第9空母打撃群に配属されている。 構成戦隊の2019年現在の構成は以下のとおりである[1]。 サンディエゴ海軍基地の戦隊本部
歴史第23駆逐戦隊は1943年5月11日、ボストン海軍工廠においてM・J・ギリアム大佐の下で編成された。当初の編成はフート(USS Foote, DD-511)、チャールズ・オースバーン(USS Charles Ausburne, DD-570)、スペンス(USS Spence, DD-512)、オーリック(USS Aulick, DD-569)、クラクストン(USS Claxton, DD-571)、ダイソン(USS Dyson, DD-572)、コンヴァース(USS Converse, DD-509)及びサッチャー(USS Thatcher, DD-514)であった。 1943年6月29日、第23駆逐戦隊は、ウィリアム・F・ハルゼー提督の第3艦隊に配備された。第23駆逐戦隊は太平洋南西における哨戒と護衛の任務に就いた。 第23駆逐戦隊は1943年10月23日に指揮を執った2代目の司令官、アーレイ・バーク大佐の下で高い評価を得た。1943年11月から1944年2月までの期間、22の交戦に参加し、日本海軍の巡洋艦1隻、駆逐艦9隻、潜水艦1隻、小型船数隻及び約30機の航空機を撃墜したとされている。太平洋での第23駆逐戦隊の作戦は第二次世界大戦におけるフィリピンの奪還を通じて継続さた。戦後、戦隊は1945年10月19日に米国に戻り、バーク提督とジェームズ・フォレスタル海軍長官から会長賞を授与された。 1946年2月、第23駆逐戦隊は活動を停止し、船はサウスカロライナ州チャールストンに移動した。 1956年4月4日、部隊はE・K・ウェイクフィールド大尉の指揮下で駆逐艦師団231として再度編成され、ピッキング(DD-685 Picking)、スティーブン・ポッター(DD-538 Stephen Potter)、プレストン(DD-795 Preston)、アーウィン(DD-794 Irwin)が加わった。部隊は1956年12月12日、カリフォルニア州ロングビーチでの式典で、米国太平洋艦隊の巡洋艦隊司令官チェスターウッド提督によって「リトルビーバー」として再編成された。 マックラスキー (FFG-41 McClusky) は1986年に部隊に配属され、ヴァンデグリフト (FFG-48 Vandegrift) は2015年に退役するまで部隊に所属した。 エンブレム第23駆逐戦隊のエンブレムは、フレッドハーマンのレッドライダーの漫画で有名になったキャラクター、リトルビーバーである。この漫画は、第二次世界大戦での戦隊の作戦において人気を集めた。南太平洋にて多くの作戦に参加したため、戦隊の乗員はしばしばビーバーのように忙しいと言った。このエンブレムは、リトルビーバーが日本の陸軍大将東條英機に矢を放っている様子を描いたものであり、今日まで使用され続けている。 司令官歴代の指揮官は以下のとおりである。
脚注
参考文献
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