結城市立結城中学校
結城市立結城中学校(ゆうきしりつ ゆうきちゅうがっこう)は、茨城県結城市小田林にある公立中学校。略称は結中(ゆうちゅう)。 概要戦後の学制改革によって開校した、70年以上の歴史を持つ中学校である[1]。城南小学校・城西小学校・結城西小学校の3校を学区としている[3]。 生徒数は、2023年度は643人で市内3校の中では最も多く、各学年6学級編成となっている。全体の生徒数は過去10年間においては横ばいで推移しているが、特別支援生徒は増加傾向にあり、2022年度には58人を記録した[4]。 校歌は塚本勝義が作詞し、江口夜詩が作曲した。歌は3部で構成され、「筑波山」や「鬼怒川」が登場する[5]。 沿革第二次世界大戦後の1947年、学制改革により新制中学校が結城町にも設置されることになり、町は設置協議会に代わって新学制実施準備委員会を設置した[6]。同年4月23日、周辺自治体から少々遅れをとる形で開校にあたっての協議がまとまり、同年5月3日に開校することになった。5月3日、「結城町立結城中学校」として結城小学校(結城1927番地)に併設する形で開校した。生徒933人は、暫定的に小学校の教室16室を借用して授業を開始した[7]。 開校して間もない1947年8月、県より中学校施設の建設を促され、町は結城中学校建設協力委員会(のちに中学校建設期成同盟会に改組)を立ち上げた[7]。同会の長を務める町長は、立地よりも広大な敷地を重視したため、町の西はずれにある日本気化器結城工場の跡地[注 1]を選定した[8]。山林や工場などを含む約7万平方メートルを買収し、翌1948年5月から工事に着手した[9]。工事は2期に分けて行い、第1期では約700坪の改築や既存の建物を教室へ改造し、第2期では新たに校舎2棟を建設した[10]。工事は1950年7月に完了したが、同年は焼失した町役場の再建で町の財政は逼迫されていたため、工事にかかった1687万円のうち、900万円は町民からの寄付で賄った[11]。 ![]() 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成 現在地への移転後、1951年に校歌を、翌1952年には校旗を制定し、1954年には結城町とほか3村が合併して結城市となり、「結城市立結城中学校」と校名を改めた[1]。 年表
部活動運動部
文化部
出典:[14] 施設概要主な施設を掲載。面積は延床面積を記載。
上記施設のうち、老朽化が特に進行している管理棟と特別棟は大規模改修工事を行う予定である[2]。 学区
出典:[3] 進学前小学校原則として下記3校の児童は結城中学校へ進学することになっているが、事情によっては他校への進学も認められている。
出典:[3] アクセス鉄道バス
周辺
著名な出身者
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク |
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