荒谷弘樹
荒谷 弘樹(あらたに ひろき、1975年8月6日 - )は、富山県高岡市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 来歴元日本代表FW柳沢敦は高校の2期後輩にあたる。高校卒業後1994年に浦和レッドダイヤモンズに入団。しかし田北雄気・土田尚史の前に出場機会は全くなく、1998年に川崎フロンターレに期限付き移籍[1] するも浦上壮史の控えに終わる。1999年に大宮アルディージャに移籍したがここでも白井淳の控えとなり、正GKはおろか第2GKすらままならない時期が続いた。 しかし白井引退後の2002年に公式戦初出場するとその年12試合に出場して徐々に頭角を現す。2003年は川島永嗣にポジションを奪われるが、川島が名古屋グランパスエイトに移籍した2004年からは完全に正GKの座を射止め、ようやく「守護神」と呼ばれるようになった。しかし、2007年の途中から故障もあって江角浩司にポジションを奪われ、2008年には出場機会なしに終わった。2009年、かつての同僚高木貴弘と入れ替わる形でJ2に降格し新体制でスタートするコンサドーレ札幌に移籍した。 札幌では不安定なプレーが目立った佐藤優也に代わって途中から正GKを務めて30試合に出場しまずまずのプレーを披露したが、チームの不調や自身の故障もあって終盤戦は高原寿康にその座を譲った。11月28日に石井謙伍、中山元気らと共に戦力外通告を受け、2010年よりヴァンフォーレ甲府に移籍。甲府では主に荻晃太の控えを務めるが、2010年の終盤戦は荻がヘルニアで離脱したこともあり代役を務め、安定したプレーを披露した。J1に昇格した2011年も荻が故障離脱した時期などもあって13試合に出場したがチームはJ2に降格した。 2011年限りで現役を引退。2012年より、古巣大宮でU-12コーチを務める。 所属クラブ
個人成績
指導歴
出典
関連項目外部リンク
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