菊地勇樹
菊地 勇樹(きくち ゆうき、1980年8月7日 - )は、日本のバスケットボール選手である。ポジションはフォワード。素早い動作から放たれるスリーポイントショットを得意とした[2]。 秋田県出身。1996年から1998年にかけて秋田県立能代工業高等学校バスケットボール部に所属し、同級生の田臥勇太、若月徹と共にインターハイ・国体・ウィンターカップの3年連続3冠制覇に貢献した[2]。 2010年から、2013年6月に引退するまで秋田ノーザンハピネッツに所属し、2011年から2012年のシーズンには活躍が評価されコミッショナー特別賞を受賞した[3]。 来歴1980年、秋田県南秋田郡飯田川町(後の潟上市)に生まれる。羽城中学校3年時に全国中学校体育大会に出場し、同級生の高橋憲一らとともにベスト16入り。既に身長190cmに達していたこともあり、当時のポジションはセンターであった[2]。 高校進学にあたっては福井の北陸高校から勧誘があり、同高OBの佐古賢一からも電話で直接誘われたが、地元の名門能代工業高校に進学した[2]。入学直後に監督の加藤三彦によってセンターからフォワードにコンバートされ、シューターに転身。スリーポイントシュートを武器に田臥勇太、若月徹と共に3年連続3冠に貢献し[2]、ジュニア日本代表にも選ばれ世界選手権も経験した。 高校卒業後は専修大学に進み[2]、4年時には同期の青木康平らとともにインカレ初優勝を達成し、ヤングメンアジア選手権にも出場した。大学卒業後は秋田で就職するとともに、クラブチームの三種体協琴丘[4]で競技を続け[2]、2008年にオールジャパン出場。1回戦で高校の後輩でもある梁川禎浩擁する筑波大学、2回戦でJBL2に所属していた千葉ピアスアローバジャーズを降し3回戦まで進んだ[5]。一方でクラブ日本一も経験し、国体秋田選抜にも名を連ねた。 2010年、秋田ノーザンハピネッツ設立と共に、ドラフト外で入団[6]。初年度は出場時間158分に留まり、得意の3ポイントショットも成功13本、成功率20.3%に過ぎなかった。しかし2年目は出場時間1154分と飛躍的に増加、3ポイントシュートも成功114本、成功率31.6%まで上昇。コミッショナー特別賞を受賞した[3]。 3年目となる2012-13シーズン、2012年10月13日の開幕戦で18得点を挙げMVPに選ばれる幸先の良いスタートを切った[7]。しかしその後は怪我の影響もあり出場時間を伸ばせず[8][9]、チームもプレイオフセミファイナルで敗れた。そしてシーズン終了後の2013年6月、本人の希望により現役を引退した[10]。引退後は三種体協琴丘に復帰している[11]。 日本代表歴
記録
脚注
関連項目 |
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