虞美人 (宝塚歌劇)
![]() 虞美人(ぐびじん)は、長與善郎の戯曲『項羽と劉邦』を原作とした、宝塚歌劇団のミュージカル作品。 詳細1951年(昭和26年)8月に宝塚大劇場で初演された。宝塚歌劇団にとって、初の一本立て(二幕)作品。3ヶ月連続のロングランを続け、実に30万人もの観客を動員し、宝塚史上有数のヒット作となった。宝塚ファン以外にも支持されて、作家の坂口安吾は文芸春秋1951年10月号で「ああいう大舞台で項羽と劉邦が巨人のような大きさでグッと見物人にのしかかるようにならないと、本當の大舞台とは申されない。(中略)春日野や神代が現す男性には氣品がある。」と評価した[1]。 1950年(昭和25年)から翌年にかけて相次いでスター(淡島千景、乙羽信子、久慈あさみ、越路吹雪)が退団したが、この「虞美人」を契機に宝塚ブームが起こり、危機を脱した。観客動員数はその後の再演と合わせて、345回公演で93万9100人を動員した。 2010年(平成22年)に、木村信司により、新脚本・楽曲などによる新演出バージョンが上演され、2010年3月29日には、観客動員数が100万人を突破した[2]。 登場人物
あらすじ白井版1974年の上演をもとに記述している。 第一幕貧しい韓信に同情した桃娘は、乳母に食事を持たせ、二人は親しくなる。韓信の股くぐりの故事に見られる様に、韓信の非凡さを見抜いた范増は、項羽に彼を重用するよう進言するが受け入れられず、やがて韓信は劉邦の軍師となった。 会稽の大守・殷通は項羽と項梁を自邸に招き、皇帝に対して決起するよう相談するが、殷通の家臣・鐘離昧の策略により項羽は殷通を殺害してしまう。鐘離昧は軍勢もろとも項羽に忠誠を誓う。桃娘は父が殺害されたことに、激しい憎しみの心を燃やす。 虞姫が項羽のもとに迎えられるとき、彼女を恋慕する王陵は項羽の暗殺を試みるが失敗し死亡する。 劉邦は咸陽へ向かって出陣するが、彼の身を案じた妃の呂妃は、踊り子・梅蘭となっていた桃娘を探し出し、少年に変装させて項羽の館に送り込む。項羽は民衆に人気のある劉邦を殺害するため自陣に招くが、桃娘らの妨害によって失敗する。 第二幕項羽は天下は長くないと、かつて彼の滅ぼした亡霊達に諭される悪夢を見ていた。人望を失った彼からは将軍達はまたひとりと去っていったが、虞姫は優しくなぐさめる。 項羽の軍師・范増は、劉邦らの妻子を人質にとる作戦を実行するが、かえって彼らの士気を高めるだけだった。九里山の戦いは鐘離昧の造反によって、劉邦・韓信の狙い通りに展開した。韓信は鐘[注 1] に褒美として死を与えた。項羽は范増さえも信じられず、彼の進言を無視して突撃を行なおうとするが、范増は項羽をかばって絶命する。 桃娘は韓信の妻となり、二人は今の幸福を呂妃に感謝する。 劉邦軍が総攻撃をかける前夜、虞姫は呂妃の館を訪れた。虞姫は桃娘に夫に総攻撃を延期するよう頼んで欲しいと話す。そこへ呂妃が現れ、虞姫の落ちぶれた姿を嘲笑し互いに罵りあう。…しかし、それらは全て虞姫の想像だった。翌日、彼女は誇りを捨ててまで実行しなくて良かったと、心から思う。 周囲からは懐かしい楚の歌が聞こえ、望郷の念にとらわれた兵士達はまたひとりと脱走していく。敗北を悟った項羽は虞姫に別れを告げる。虞姫は剣を持って舞うが、すでに周囲は火に囲まれており、彼女は別れよりも死を選び自害する。
楽曲白井版
これまでの上演白井版
木村版
スタッフ1951年星組・月組・花組
1955年星組
宝塚大劇場公演のみのデータ
1974年3月23日 - 4月25日(宝塚大劇場)
4月26日 - 5月23日(宝塚大劇場)
6月2日 - 30日(東京宝塚劇場)
7月5日 - 28日(東京宝塚劇場)
2010年花組参考資料:2010年公演プログラム
配役一覧脚本・演出:白井鐵造
脚本・演出:木村信司
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク |
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