観念崩壊セミナー

観念崩壊セミナー(かんねんほうかいセミナー)は、オウム真理教で行われていたセミナーの一つ。破産管財人への教団施設引き渡しが迫っており、多人数で集まれる機会が失われることから、最後の集まる機会として現在、ひかりの輪の宗形真紀子が中心となって、松本麗華の名前を利用して開催したセミナーである[1][2]。1996年8月24日から10月下旬まで断続的に行われた[3]。元オウムのひかりの輪信者や、元ひかりの輪の幹部P師は、当時13歳だった麗華の監修・指示の下に行われたとされ、修行監督と呼ばれる者により実行されたと主張している[4][3][5]

ひかりの輪の主張への批判

松本麗華は名前を利用されたと主張することに対して、上祐史浩ひかりの輪松本麗華が主催したと反論し、オウム真理教の教義・組織構造・多数の客観的証言者によりこの事実は確認されていると証言を挙げている[3][4][5][6]。しかし、ひかりの輪の信者、元信者の証言がほとんどであり、唯一例外は、松本麗華を敵対視しているアレフ幹部の二ノ宮耕一のものであるが、二ノ宮は観念崩壊セミナーに参加したことはなく、客観的証言と言うのは困難である。逆に、ひかりの輪の構成員ではない者からは宗形が開催から内容まで決めて、手配していたという証言がある[7][8]

また、上祐史浩ひかりの輪は教団の教義・組織構造から、正大師である松本麗華が主催したのは明らかというが、13歳の責任能力のもない少女に“指導者”の役割を与え、結果的にそのことで他者が傷ついたとすれば、それはその少女を止めずに利用した大人の責任である。そうした環境に13歳の子どもを置いたこと自体が深刻な虐待にあたり、松本麗華は構造的虐待の当事者であって、松本麗華自身が観念崩壊セミナーの被害者といえる[9]。問題は「その子が何をしたか」ではなく、「なぜそのような立場に置かれたか」、その構造を作った大人や組織の責任の検証が必要である。当時の修行監督だった者は、修行監督をしていた大人の責任であると述べている[10]。ひかりの輪が被害者だと挙げている、元ひかりの輪の信者も回りの大人の責任だと述べている[11]

加えて、「オウムの世界にどっぷりはまっていた当時なら、オウムのなかでステージが一番高い『正大師』に責任があったと思うのは仕方がないでしょう。しかし、オウムを批判し、脱会した今もなお『子どもに責任があった』のだと本気で思っているのなら、その人はまだオウムの霊的ステージを信じているということです。なるほど、上祐さんというかつての『正大師』について行って『ひかりの輪』にいるのだから、オウムの霊的ステージを信じて、今もオウムの世界を生きているのでしょう。」とも述べており[12]上祐史浩ひかりの輪の反論はオウム真理教の宗教観にどっぷりと浸かったものだと指摘されている。

経緯

1995年平成7年)5月16日、麻原が逮捕されると、教団を取り巻く環境は悪化の一途をたどり、10月7日には上祐史浩が逮捕され、教団内にいた成人した4人の正大師が全員不在となる。1996年1月には破防法適用のための弁明手続きが行われていた。これを受けて、現在、ひかりの輪の宗形は、教団の壁新聞のようなものを制作しはじめた。権限がなかったため、松本麗華の名前を使うことを考え、アーチャリー正大師しかいませんと、それまで子どものため相手にされていなかった松本麗華を正大師として扱い始めた。 [13]宗形も、「三女は、私の存在意義や自負心を満たすに足る存在だった」と認めている[14]。そして、宗形は

はじまりは、サマナ全体の意識が低下し、脱会者が多くなったことを危惧した現在ひかりの輪の宗形から「最後にみんなのためにセミナーが必要だ」と提案があり、提案に乗る形で麗華の「大きな施設があるうちに、都会で生活する信者の煩悩が肥大する前に、信者らを引き上げる手助けをしたい」という思い付きに、自己啓発セミナーの体験者の経験を基にしたものをミックスした形で、試行的に行われたものであった。しかし練られた内容ではなく、行き当たりばったりで途中から次第に過激化していった。過激な内容のセミナーのときに参加した信者の中には精神的ショックを受けたものもいた[3][5]

内容

セミナーの内容は麗華と8名ほどの監督の発案を元に決められた[3]上九一色の第6サティアンに、当初は師だけが集められて行われ、ほとんどの師が参加した。通常の修行、ドッジボール、リレーなど遊び的なものを松本麗華が、蓮華座修業、自己啓発セミナーの手法を模した罵倒、断食修業、寒空に信者を放り出すというものは監督が提案した。

セミナーには具体的なスケジュールは設けられず、睡眠時間も一定しない状況だった。悪天候の中で連日屋外へ放置し食事を与えなかったり、逆に食事を与えない後に無理やり大量に食事を与えさらに吐いたらその吐瀉物をもう一度食べさせる、水を浴びせ続ける、単純な運動を長時間に渡って続けさせるなどの拷問に近い修行が行われた。初期には「解脱のために観念を崩壊する」との目的で行われ、「監督自らも観念を崩壊させねばならない」との麗華の発言に基づき、監督が信者らの前で顔を醜くゆがませて叫び声やうめき声をあげて振る舞ったり、口汚い罵声でやくざのような振る舞いをしたりしたほか、男性は女装させられてサティアンを警備している警察官らの前で踊ったりするというものであった。また別のセミナーでは監督に「傲慢だ」と言いがかりをつけられ、縛り蓮華座を長時間強要されたり、で遠方まで連れ出されて食事もさせられず、数日後にふらふらになり戻るというようなこともあった[3]

指導する大人の監督は綿密に計画を練り上げておらず、観念崩壊という言葉を使えば何をやってもよいと考えたようである。行き当たりばったりで、普通では考えられないことを参加者に強制するようになったため、内容は次第にエスカレートし、醤油を大量に飲ませたり、縛り蓮華座ではでぎっちりと縛りつけられあまりの苦しさにのたうち回ったり、絶叫する者もあったが、「逃げてどうする。地獄に堕ちてもいいのか!」と言われ「地獄に堕ちてもいいから、ほどいてくれ!」と懇願する者もいたという。このように常識に反することが行われたため負傷者が出、脱会者も多く出したという。自己啓発セミナーの手法の1つである「突っ込み」と呼ばれていたものは、1人の信者を数人の信者で取り囲み、罵声を浴びせ、当人の弱点や悪行を涙を流すまで責め続け、監督が「いい」と言うまで続けられた。時には監督にも矛先が向けられ、麗華をはじめ他の監督らが罵声、軽蔑無視などの責苦を与え監督から排除し数ヶ月間無視するなどの行為が行われた。その結果、麗華は出家信者らから「恐怖を伴う神格化」がなされたと宗形は言うが、恐怖の神格化は責任転嫁のためなのではないかと指摘されている[15]。脱会者が多数出たのは真実のようで、彼女自身もその結果に大きなショックを受けたという[3]。麗華は、罪悪感から参加する日が少なくなっていった[3]


脚注

  1. ^ 【オウム】父が起こした地下鉄サリン事件…松本麗華さんに聞く「加害者家族」としての人生”. YouTube. ABEMA Prime (2025年6月20日). 2025年6月20日閲覧。
  2. ^ X 空旅人”. X (2025年7月8日). 2025年7月8日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 元P師『幻想の崩壊』オウムとはなんだったのか?
  4. ^ a b アレフ問題の告発と対策”. 2025年6月20日閲覧。
  5. ^ a b c 麻原遺骨引き渡し問題:国と麻原家族が係争中” (2-25/7/1 エラー: 日付が正しく記入されていません。(説明). 2025年7月5日閲覧。
  6. ^ 野田成人のブログ”. 2014年10月31日閲覧。
  7. ^ 【オウム】父が起こした地下鉄サリン事件…松本麗華さんに聞く「加害者家族」としての人生”. YouTube. ABEMA Prime (2025年6月20日). 2025年6月20日閲覧。
  8. ^ X 空旅人”. X (2025年7月8日). 2025年7月8日閲覧。
  9. ^ 【映画】「それでも私は Though I'm His Daughter」感想・レビュー・解説”. note (2025年7月6日). 2025年7月6日閲覧。
  10. ^ カルトの子ども/後継者・宗教二世”. note (2020年9月8日). 2020年9月8日閲覧。
  11. ^ 『幻想の崩壊』オウムとはなんだったのか?”. Amebaブログ (2010年8月28日). 2010年8月28日閲覧。
  12. ^ カルトの子ども/後継者・宗教二世”. note (2020年9月8日). 2020年9月8日閲覧。
  13. ^ 松本麗華 (2015). 止まった時計. 講談社 
  14. ^ 『【5】サリン事件後5年間を振り返って(1995~2000)』、アメーバブログ、2022年4月8日、https://ameblo.jp/hikari-sokatsu/entry-12736390495.html
  15. ^ X 空旅人”. X (2025年7月8日). 2025年7月8日閲覧。

参考サイト

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

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