豊岡市立但東中学校

豊岡市立但東中学校
地図北緯35度28分37秒 東経134度57分11秒 / 北緯35.47703度 東経134.95308度 / 35.47703; 134.95308座標: 北緯35度28分37秒 東経134度57分11秒 / 北緯35.47703度 東経134.95308度 / 35.47703; 134.95308
過去の名称 但東町立但東中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 豊岡市
併合学校 但東町立但東北中学校(資母中学校)
(旧)但東町立但東中学校
設立年月日 2004年(平成16年)4月1日
共学・別学 男女共学
一貫教育 小中一貫教育(連携型)
学期 3学期制
学校コード C128210003085 ウィキデータを編集
所在地 668-0322
兵庫県豊岡市但東町三原108-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

豊岡市立但東中学校(とよおかしりつ たんとうちゅうがっこう)は、兵庫県豊岡市但東町にある公立中学校

沿革

戦後の学制改革において、合橋村資母村高橋村の3村は県内他町村のような組合設立には動かず、それぞれ村立小学校に併設する形で新制中学校を設立する[1]。のち3校とも独立校舎を構え1956年(昭和31年)に3村が合併し但東町となった際にこれらの中学校は存置された。人口減による生徒数の減少で3校を1校に統合する構想が1965年(昭和40年)に計画されたが、この統合には3村合併時の経緯(但東町#歴史を参照)から資母地区の反発が強く、結局合橋・高橋の両中学校を先行して統合させ(旧)但東中学校が成立する[2]。町当局は予算の問題等から資母中学校の統合をその後も模索し続けるが、資母中学校は昭和50年代には1学年1クラスの小規模校となりながらも統合を拒み続け、1町2中学校制が長く続いた[3][4]

1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災が契機となり校舎の耐震性が問題となり、但東北中学校(資母中学校から改称)、(旧)但東中学校とも危険な建物と判定されたため再び統合問題が持ち上がる[5][6]。過去の経緯から資母地区の反発を招かないよう、専門家の意見を聴取する等手続きには慎重を極め、2000年(平成12年)11月に町教育委員会は町長に対し、統合と新校舎建設を速やかに進めるよう答申[7][8]、ようやく統合がなり(新)但東中学校が開校したのは但東町と豊岡市の合併を目前に控えた2004年(平成16年)のことである。なお、(新)但東中学校開校時に同一敷地内に豊岡市役所但東学校給食センターを併設したが[9][10]、給食センターは2013年(平成25年)に出石給食センターに統合された[11]。以下、公式HP「但東中学校沿革史」[12]及び『但東町史』の記述等による。

  • 1947年昭和22年) - 合橋村立合橋中学校(合橋小学校の北校舎を使用、相田小学校に分校を設置)、資母村立資母中学校(資母小学校の一部の教室を使用)、高橋村立高橋中学校(久畑小学校校舎の一部を使用、平田小学校に分校を設置)。
  • 1948年(昭和23年) - 資母小・中学校内に兵庫県立豊岡高等学校資母分校(定時制)を設置、資母中学校長の管理となる。
  • 1953年(昭和28年) - 高橋中学校平田分校を本校に統合、平田には兵庫県立出石高等学校高橋分校(定時制)を設置。合橋中学校が独立校舎を構え相田分校を廃止。
  • 1956年(昭和31年) - 3村が合併し但東町となり、3校とも但東町立校となる。定時制資母分校の所属が豊岡高校から出石高校に変更となる。
  • 1966年(昭和41年) - 定時制資母・高橋分校を統合、但東分校を開設(校舎平田)。
  • 1968年(昭和43年) - 合橋中学校と高橋中学校が統合、(旧)但東町立但東中学校が開校。定時制但東分校が閉校となり但東町から高等学校がなくなる。
  • 1981年(昭和56年) - 資母中学校が但東町立但東北中学校と改称。
  • 2004年(平成16年) - 但東北中学校、(旧)但東中学校の両校を統合し、(新)但東町立但東中学校として移転開校する。統合の経緯から、同名の学校でありながら旧校の歴史は新校には引き継がれないこととなった。
  • 2005年(平成17年) - 北但地域1市5町の合併により(新)豊岡市が発足したことにより豊岡市立但東中学校と改称。校旗・校歌制定。
  • 2007年(平成19年) - 文部科学省人権教育地域指定の研究委託。

但東北中学校と(旧)但東中学校の統合後、但東北中学校は体育館のみ豊岡市の施設として現存し[13]、(旧)但東中学校の敷地には2008年よりシイタケの生産工場が進出している[14]

但東地域は少子化による学校小規模化が進行していることから、但東地域の全小中学校を統合した施設一体型義務教育学校を但東中の敷地一帯に新設することを決め、2027年度の開校を目指して準備を進めている[15][16]

部活動

通学区域

豊岡市のうち、旧但東町区域[17]。以下の小学校区が該当する。

交通アクセス

脚注

注釈

出典

  1. ^ 『但東町史』p.764
  2. ^ 『但東町史』p.877
  3. ^ 小口、p.54
  4. ^ 佐藤、p.24
  5. ^ 小口、p.55
  6. ^ 佐藤、p.26
  7. ^ 小口、p.60
  8. ^ 佐藤、p.29
  9. ^ 小口、p.64
  10. ^ 佐藤、p.31
  11. ^ 2学期給食開始豊岡市立弘道小学校
  12. ^ 沿革の概要公式HP
  13. ^ 施設案内 資母体育館豊岡市
  14. ^ 会社概要みのる産業株式会社
  15. ^ 〔但東地域住民対象〕但東地域施設一体型小中一貫校説明会を開催しました豊岡市
  16. ^ 豊岡市、小学校10校減 竹野、但東は小中一貫に 31年度目標神戸新聞NEXT2021年12月29日付
  17. ^ 豊岡市立学校の通学区域等に関する規則

参考文献

関連項目

外部リンク

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

Portal di Ensiklopedia Dunia

Kembali kehalaman sebelumnya