連邦捜査局長官
連邦捜査局長官(れんぽうそうさきょくちょうかん、英語: The director of the Federal Bureau of Investigation)は、アメリカ合衆国の法執行機関である連邦捜査局の長であり、同局の日常の業務に対する責任者である。1期10年でアメリカ大統領より任命され、合衆国上院により承認される[1][2][3]。連邦捜査局は、アメリカ司法省に属する機関で、連邦捜査局長官はアメリカ司法長官に直属する[4]。 アメリカ同時多発テロを経て情報活動改革テロリズム予防法が制定されるまで、連邦捜査局長官は、同局内で発生した問題を大統領に報告していた。法制定後、連邦捜査局長官は職権を拡大され、アメリカ国家情報長官に直属することとなった。また連邦捜査局自体が、アメリカのインテリジェンス・コミュニティーの一構成機関となった[5]。 任期アメリカ大統領により任命され、1972年からは合衆国上院の助言と承認を要している[2][3][6]。1924年、カルビン・クーリッジ大統領により、連邦捜査局の前身である「捜査局」(Bureau of Investigation) の長官に任命されたジョン・エドガー・フーヴァーは、最も長く長官を務めた。彼は、1935年に「連邦捜査局」の名で組織が発足してからも、1972年に死去するまで、長官の位を保ち続けた。1976年、リチャード・ニクソン大統領の政治スキャンダルであるウォーターゲート事件のさなか、フーヴァーの長すぎる任期を受けて、1968年犯罪防止及び街路の安全性に関する包括法が改正され[7]、アメリカ合衆国議会は、連邦捜査局長官の任期を10年に制限した。これには、長官が政治的圧力を受けにくくする狙いがあった[8]。例外として、2011年7月27日、長官ロバート・モラー在任中、安全保障上の懸念を理由に、この規定が合衆国上院によって無効とされ[9]、彼は最終的に12年間職を務めた。また、基本的に1976年からは、在任中の死去や辞任・更迭を除いて任期は10年間とされているが、実際のところ、12年間長官を務めた先述のモラーを除いて、10年の任期を全うした者はいない。 またアメリカ大統領は、その職権をもって、連邦捜査局長官を罷免することができる。罷免ののち、それが合衆国上院に承認されるまでは、連邦捜査局長官代理が自動的に長官の職務を代行することとなる。なお、長官代理の任命は、大統領の任命や上院の承認を要さない。また大統領は、上院による罷免の承認までの間、臨時の長官を任命することができ[10]、もしくは正式な長官を指名することができる[11]。 職責長官代理とともに、組織の運営が正しく行われているかを確認する責務を負う。また、連邦捜査局内部署の長を責任もって配置する責務を負う。 任命アメリカ大統領は、合衆国上院の助言と承認を受けて連邦捜査局長官を任命する。任命された者について、上院司法委員会はヒアリングを設けたのち、上院の総意として任命を認めるかどうかの投票を行う。
長官一覧「捜査局」時代の長 (1908–1935)捜査局(英語: the Bureau of Investigation, BOI)が設立された1908年当時、その長は「捜査局長」(英語: Chief of the Bureau of Investigation)と称されていた[12]。その後、ウィリアム・フリン(在位 1919年 - 1921年)の在任中、「捜査局長官」(英語: the Director of the Bureau of Investigation)と改名された。現在の「連邦捜査局長官」となるのは、1935年に「捜査局」が「連邦捜査局」と改組されたときである。
連邦捜査局長官 (1935–)「捜査局」は1935年、アメリカ司法省内の独立した部局となった[13]。同年、「捜査局」は現在の「連邦捜査局」に名称を変更し、ジョン・エドガー・フーヴァーは、現在でも用いられる「連邦捜査局長官」の地位に就いた。1972年より、合衆国上院は長官の指名を永久的に請け負うこととなった。フランク・M・ジョンソンはジミー・カーターにより1977年に長官として指名されたが、健康上の理由から撤回された[14]。
脚注注釈
出典
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