鄭柄宙鄭 柄宙(朝鮮語読み:チョン・ピョンジュ、ハングル:정병주、日本語読み:てい・へいちゅう。1926年 10月6日-1989年3月4日?)は大韓民国の軍人。慶尚北道出身。 鄭昇和陸軍参謀総長(戒厳司令官)が拘束された粛軍クーデターの際には特戦司令官として陸軍本部(正規軍)側の中心人物であったが、全斗煥保安司令官ら秘密組織「ハナ会」の主導するクーデター勢力により、張泰玩首都警備司令官らとともに拘束・予備役編入を余儀なくされた。 経歴
1979年12月12日、国軍保安司令官の全斗煥少将らが主宰する秘密組織「ハナ会」が主導する粛軍クーデターが発生した際には、首都警備司令官の張泰玩少将らと共に陸軍本部(正規軍)側の中心人物としてクーデター鎮圧を試みた。しかし、首都圏に駐留していた特殊戦司令部麾下の4個旅団のうち3個旅団の旅団長がハナ会メンバーでクーデターに参加し、更に北朝鮮の南侵の脅威やソウルを戦場にする可能性を避けたい陸軍本部の思惑などによってクーデター鎮圧は上手くいかず、結局特殊戦司令部がクーデター勢力側の第3空輸特戦旅団に強襲されたことで拘束された。 1980年に強制的に予備役編入させられた後は、同じように強制的に予備役編入させられた張泰玩と連絡を取り合った他、粛軍クーデターの不当性を訴え続けた。しかし1989年3月4日、楊州市の山中で首を吊った遺体として発見された。62歳没。 その死には謎が多く、軍当局は自殺と結論付けたものの、鄭柄宙自身は敬虔なカトリック教徒であり、また死の直前にも張泰玩と食事を共にしてクーデターの不当性を訴え続けようと話していたことなどから、他殺説も根強い。後年の民主化後に軍当局は再調査を行い、自殺とするには疑問点があったものの、証拠の乏しさから結局結論を出すことは出来なかった。 関連作品
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