里見恒平
里見 恒平(さとみ こうへい、1976年12月30日 - )は、日本の兵庫県明石市出身の元アメリカンフットボール選手で、現在は日本競輪選手会千葉支部所属の競輪選手。 経歴兵庫県立明石南高等学校時代は野球部に所属し、立命館大学に入学してからアメリカンフットボールを始めた[1]。立命館大学パンサーズに所属しチームの主力として活躍、1998年には甲子園ボウルで優勝を経験[2]。 大学卒業後、1999年、アメリカのメンロー・カレッジに留学、またこの年開催されたワールドカップの日本代表にも選出された[2]。2000年には、NFLヨーロッパのアムステルダム・アドミラルズと契約[3]、また同年、Xリーグのオービックシーガルズに入団した(XリーグとNFLヨーロッパはシーズンが異なる)[2]。ポジションはディフェンスバック[4]。身長177cm、体重86kg。 2001年にはNFLヨーロッパのスコティッシュ・クレイモアーズ、2002年、2003年にはアリーナフットボールリーグの2部ハワイアン・アイランダーズ、2004年にはアムステルダム・アドミラルズ、2005年にはケルン・センチュリオンズ、2006年にはアリーナフットボールリーグ2部のエベレット・ホークスでプレーした[2]。2007年にはシーガルズの選手兼ストレングスコーチ、東京大学ウォリアーズのアシスタントコーチも務めた[2]。2008年には、カリフォルニア州フレズノのセントラル・バレー・コヨーテズでプレーし、この年を最後にフットボールを引退した。 その後、高校の野球部の後輩にあたる戸伏康夫(96期)が競輪選手になった影響を受け、2009年7月に日本競輪学校第99回生入学試験に合格し、同年11月25日に入学[5]。 2010年10月15日、同校を卒業。在校競走成績は83戦22勝で第11位[6]。同年11月1日付で競輪選手登録された。師匠は宮倉勇(58期)。 2011年1月1日、平塚競輪場でデビューし、初出走初勝利を挙げた。 メディアへの出演TBS『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』に3度出場経験がある。初出場の2004年大会は全選手中第2位。
脚注
関連項目外部リンク
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