長野まゆみ
1959年8月13日 -)は、東京都出身の小説家。1982年、女子美術大学芸術学部産業デザイン科デザイン専攻卒業[1]。自作の表紙等を描くイラストレーターでもある[2]。 (ながの まゆみ、作風小学3年生の時に竹宮惠子『空がすき!』(少年愛の要素がある)を読んで衝撃を受け、少年愛ものの世界に入り、萩尾望都や稲垣足穂を読んでいた[3]。高校大学時代は少年愛ものの種類が少なかったので、ジュネのような古典や司馬遼太郎らの歴史小説まで読んでいたという[3]。元々は少女漫画を描いていた[4]。三島由紀夫を非常に高く評価しており、一番好きな作家と述べている[3]。文章は三島と夏目漱石、内田百閒が好きで、稲垣足穂は取り扱っているものや感覚がおもしろく、自分なりに研究している[3]。デビュー作『少年アリス』から宮沢賢治の作品をたびたび引用し、特に『銀河鉄道の夜』の引用が多い[4]。1990年代はじめに、長野の中で宮沢賢治ブームがあったのだという[4]。海外の古典は読んでおらず、ブラッドベリ、ハインライン等の「軽いSF」(本人談)を好んでいた[3]。同時代のSFは読んでいない[3]。 本人曰く、読者の9割は女性であり[3]、女性のために作品を書いている[2]。 デビューから一貫して独自の世界を切り開いており[3]、文芸というジャンルの作家としては非常に多作である[2]。日本のSFの精力的な作家のひとりでもある[2]。耽美的な作風で、鉱石、機械、幻想世界だけに存在する美少年といったモチーフを繰り返し使用し、少年同士、あるいは少年と青年の関係を描いたものが多い[3]。初期作品は兄弟や親友同士の友情や精神的な絆を多く描いている。ユニセックスな、いわゆる「やおい」的な要素があり、80年代のサブカルチャーとの関連性が指摘されている[4]。独特の流麗な文章を特徴とし、旧字体を多く用いた作品もある。『少年アリス』から『天体議会』まで、ひとつのイメージから広がっていく世界が描かれている[3]。この方法では100枚以上かけない、作家として広がらないという思いから『テレヴィジョン・シティ』が生まれ、この作品が作家としての転機となっている[3]。 作風は純幻想文学からSFまで多彩で、メタノヴェル的な構造を含め、様々な試みを行っている[3]。このような試みはあまり正当に評価されていないが、長野は文壇の状況は自作での試みと関係なく進んでおり、主に仕事をする河出書房の担当者もあきらめの境地に入ってしまったため、文壇周辺に通じなくてもいいという思いでより実験的な方向に進んでいったと述べている[3]。福本直美は、長野の作風は「いかにして人間をやめるか、につきるのではないかと思う。」と評しており、長野は、「生物全般が好きで人間は嫌い、という姿勢でいつも書いている」と述べている[2]。福山大学の秋枝(青木)美保は、長野の作品世界は、作者の美意識によって選ばれた独特の記号で埋め尽くされた、美しくも平面的な仮想現実であり、多重の模擬世界を表現することで、現実から二重三重の疎隔感があると指摘している[4]。また、1980年代の少女漫画には宮沢賢治の作品がよく引用されていたが、長野の作品はその延長にあると述べている[4]。 比較的初期から多重人格的な人間の意識の奇妙さが描かれており、長野は「意識・記憶・身体」というテーマからはなかなか離れられないと述べている[3]。こうしたテーマへの興味は自然に湧いたものだが、物理学系、生物学系のニュースは意識して見ているという[3]。1990年代に入って急激に増加した植物の生物学的な情報、バイオテクノロジーの知見が、『新世界』『超少年』「サマーキャンプ』といった作品につながっている[3]。 活動有限会社耳猫風信社設立(設立日不明)。
経歴・受賞デパート勤務、フリーの商業デザイナーを経て小説家デビュー。
作品シリーズ作品
シリーズ外作品
随筆
アンソロジー
未文庫化作品
翻訳脚注
参考文献
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia