阿部拓馬
阿部 拓馬(あべ たくま、1987年12月5日 - )は、東京都小平市出身[4]の元サッカー選手。ポジションは主にフォワード(FW)[5][2][4]。 来歴プロ入り前2人の兄の影響でサッカーを始め[7]、久留米西高[8] 在学時には横河武蔵野FC[注 1]ユースでプレー。2005年には2種登録選手としてトップチームに帯同しJFLにも出場した[9]。 2006年、法政大学へ進学。川勝良一の指導を受けて[10]3年生時に得点力が開花した[11]。 東京ヴェルディ川勝を慕い[10]、2010年より東京ヴェルディに入団[5]。同年4月、J2第6節愛媛戦でJリーグ初出場、6月のJ2第17節富山戦で初得点を挙げた[12]。同年は主に攻撃的MFとして途中投入される機会が多かった。 翌2011年は左足甲を負傷した影響で出遅れたが[7]、同年初先発となった6月のJ2第17節[注 2]富山戦で2得点を挙げると[13]同試合を含め10試合10得点の好ペースで[13][14] 得点を量産。巧みなポジショニングとゴールへの積極性で[7] 33試合16得点を記録し、得点ランキング2位となった。 2012年もJ2リーグ戦40試合18得点の好成績を挙げ、2季連続で得点ランキング2位に入った[15]。この活躍が買われ、2012年12月にドイツ・ブンデス2部の1.FCウニオン・ベルリンの練習に参加[16]。 VfRアーレン2013年1月には同じくブンデス2部のVfRアーレンのトルコキャンプに帯同。首脳陣の目に留まるプレーを見せ、同月よりアーレンへ完全移籍[17]。同年3月の第26節ザントハウゼン戦で移籍後初得点を決めた[18]。移籍1年目は9試合に出場し2得点1アシストを記録した。 ヴァンフォーレ甲府2014年7月、J1でのプレーを希望し[19]、ヴァンフォーレ甲府へ完全移籍[2]。城福浩監督の下、シャドーストライカーとしてJ1残留の起爆剤になるべく[19]奮戦した。2015年は、力強いドリブルとキープ力による[20]個人での打開力を発揮し[1]、非凡な得点センスで攻撃の核となる活躍[21]。同年末には甲府を含め[20]、FC東京、広島、川崎、仙台[22]、横浜FMが獲得に動き、争奪となった[23]。 FC東京2016年、城福率いる[20] FC東京へ完全移籍[24][4]。早々と適応し[25] 同年の公式戦初戦ACLプレーオフ・チョンブリー戦で移籍後初得点。FWやSHに入り[3]個人での打開と[26] 味方との好連携で[27] 序盤戦の攻撃を牽引していたが[28]、グロインペイン症候群及び腓腹筋挫傷により[29] 後半戦を欠場[30]。長期離脱を強いられた[3]。同年オフ、G大阪からのオファーを固辞[3]。 2017年に入り徐々に復調[30]。攻撃の推進力と守備の献身性を高く評価されてはいたが[30]練習の大半をケアに費やすなど[29]怪我との戦いが続き、出場機会は限られた。ルヴァンカップ・プレーオフステージ第1戦広島戦では決勝点を決めて勝利に貢献。 蔚山現代FC2017年7月、Kリーグクラシック・蔚山現代FCへ完全移籍[31][32]。登録名は타쿠마(タクマ)[32]。2列目からのパスによるチャンスメイクを望まれたこともあり[33] MF登録となった[32]。 ベガルタ仙台FC琉球2020年、FC琉球へ完全移籍[35]。8年振りのJ2参戦になった。 2022年はその時点で15試合出場・3ゴールの結果を出していたが、8月27日のJ2リーグ第33節水戸戦で負傷、左足アキレス腱断裂、全治約6ヶ月と診断された[36]。 2023年11月15日、FC琉球は契約満了を発表した[37]。 横河武蔵野FC2024年2月7日、JFLの横河武蔵野FCへの移籍を発表[38]。 2025年1月17日、2024年シーズン限りでの現役引退が発表された[39]。 所属クラブ
個人成績
2016年
脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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